災害と障害⑤ / 田中恵美子

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真備町で知的障害をもつ女性が亡くなった出来事について、もう少し詳細に書いておこう。
三宅さんは当時27歳で、5歳の愛ちゃんと2人暮らしだった。2016年7月に、3回シリーズで障害をもつ女性の生きづらさについての特集がハートネットTVで組まれたのだが、その時三宅さんは知的障害のある女性として登場した。

第1回の番組で、障害をもつ女性に対する性的虐待、就職の難しさとともに結婚や出産に関する困難が挙げられていた。三宅さんは知的障害のある女性として、妊娠に家族の賛成が得られず、一人で出産したことを明かしていた。番組の中で三宅さんは「誰に反対されても一人でも産むって決めていたから」と話し、嬉しそうに愛ちゃんのお世話をしていた。

その三宅さんをサポートしていたのは、地域の相談支援事業所のソーシャルワーカーで、彼の話によれば、三宅さんは妊娠した時、出産の希望をすぐに回答したわけではなかったという。

「産みたい」と本音を言ってくれるまで時間がかかった、けれどその一言を言ってくれたから、支援の方向性が決まったと彼が言っているのを聞いて、番組に出演していた脳性麻痺をもつ女性は2人の子どもを成人に育て上げていたが、「時代は変わりましたね。うらやましい。私の時には誰も理解してくれる人はいなかった」と言っていた。

この番組の中で、私は、そして私だけでなく、その番組の出演者も皆、ここまできてようやく本人を中心にした地域生活が実現できるようになったのだと驚きとともに嬉しい気持ちだった。

その三宅さんが亡くなったと知ったのは、同じハートネットTVで2018年10月に真備町の水害について触れたことからだった。三宅さんをサポートしていた相談支援事業所は隣町で避難勧告が出た際、三宅さんに地域の小学校に避難するようにと伝えたが、彼女は小学校の場所がわからなかった。

隣町から三宅さんのもとに向かうことはできず、ソーシャルワーカーは近隣の人と避難してくれることをひたすら祈るしかなかったという。

明けて翌日、水の引いた三宅さんの自宅アパートを訪れると、アパートは水害の影響を直接受けていた。三宅さんと愛ちゃんはこの中で亡くなっていた。

ソーシャルワーカーは番組の中で、憔悴した様子で、自分たちが支援していることで十分だと思っていたと語った。

だが、前回の番組では三宅さんを中心に就労支援事業所の職員や保健師、生活保護の担当等、三宅さんの支援に関わる複数の担当者が集まり、相談支援事業所のソーシャルワーカーが司会をしながら、本人の意見を聞きつつ、今後の生活について話し合う場面が映し出されていた。
決して「自分たち」だけで支援していたとは思えなかった。

それでも「自分たち」だけと言っていた背景には、地域とのつながりという点において課題があったというのだった。「自分たち」専門職による支援だけで満足してしまっていたのだ。

だが彼を誰が責められるだろうか。専門職の支援でさえチームで行うことのできない事業所があるというのに…

しかしそれでも言えるとすれば、愛ちゃんが5歳。もう少しで小学生になるとすれば、せめてそのための準備の中で学校に行ってみるといったことはできなかったのか。あるいは保育園に通っていたが、その時にママ友はいなかったのか。ああ、それも知的に障害があると難しい。切なくなる。

この記事を書くために改めてインターネットを検索していて見つけたニュースに、三宅さんのご家族が出ていた。それによれば、愛ちゃんは自閉症があったという。もしかしたらそのために地域の小学校ではなく、特別支援学校を検討していたのかもしれない。地域とのつながりをなくす原因がまた一つあった。

 

◆プロフィール
田中 恵美子(たなか えみこ)
1968年生まれ

学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。

現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。

研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。

 

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