怒りの作法 / 佐々木 優(ホームケア土屋 四国)

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私は子どもの頃からよく怒っていた。
周りへの面倒見はよかったと勝手に思っているが、一方で横着やズルをする子、特に誰かを虐める子をとにかく嫌った。

ある日、あまりにもケンカが絶えないので、私の親が学校に呼び出されることがあった。
担任には「前代未聞の学級委員長だ。」と苦笑いされた。

「僕がいかんのやったら、僕が嫌いなんやったら、いっつもいっつも僕に投票せんかったらええし、選んでも先生が認めんかったらええだけやんか。委員長やって生徒会やって僕にやらさんかったらええやんか!」

そう言って、担任と母親の前で悔し泣きをしたことがあった。

普段はクラスメイトとおどけては、楽しく笑っていることがほとんどの私であったが、相変わらず私の視界に入った【許せない誰か】と対決しようとする癖はその後も続いた―――

大人になった今の私も、根っこの部分ではあの頃と何ら変わっていない。

ただ、変わったとすれば、誰かや何かを諦めてしまうことが増えたことだろうか。
歳を重ねるごとに、少しずつ優しくなくなった自分を感じることがある。
変わって欲しい誰かに、感情をぶつけてまで自分の想いを伝えることが減り、悪く言えば、打算的で姑息な生き方を覚えてしまったような気がしている。

寛容であれ、肯定的であれ、かつ、批判的であれ
(7)怒りの爆発は何も生まない、不正には憤ろう、強く、深く、しかし冷静に
(8) 深く聴こう、丁寧に語ろう、できるを認め合い、できないを語り合おう
(9) 対話こそ生命線、責めなじることは禁物です

これは株式会社土屋が掲げる【バリュー】の一部だ。

私は怒りを爆発させるほどもう若くはない。
しかし、寛容でなく肯定的でもなく、批判ばかりをする人達に対して、私が寛容になれず、肯定もできずに内心では憤りを覚えつつも、諦めたように笑っている時がある。
これでは【同じ穴のムジナ】だ。

同時に、できないを語り過ぎる人達に対して、深く聴くことに疲れ果て、対話の場から離れてしまう時もある。
私が歳を重ねるごとに、誰かを諦めたり優しくない自分を感じているのは、きっとこういうことなのだろう。

しかし、私は思い出さねばならない。
そして、常に問い続けねばならない。

お前という少年が、かつて数ある怒りを覚えていたあの頃、その向こう側に、今のような打算的で姑息なお前がいたのか。
お前はいつも、そこで泣いている誰かのために、鼻から血を吹き出しながらも戦っていたのではなかったか。

見ないふりは楽だ。自分に直接関係のない害には触れない方が、自分も傷つかなくて済むだろう。
お前がそうして誤魔化すように笑っているだけで、降りかかる火の粉から誰かを庇えるのか。
それとも、今はもう困っている誰かはいないとでもいうのか。
貫くべき社会的正義にも関心がなくなったというのか―――

怒りは確かにネガティブな感情ではある。

しかし、今までの世界変革の系譜をみても、その源のまた源は【怒り】だ。
英雄たちは怒りを【勇気】に変えて戦い、良くも悪くも世界に変化をもたらし続けてきたのだ。

私はこれからも、貴方や誰かのために、時に疲れてくよくよ涙しながらも一生懸命怒り続けるだろう。
穏やかに微笑みながら、隠した手で核兵器のボタンを押すような人間に、私はなりたくないのだから。

【愛の反対は憎しみではなく、無関心である】
マザー・テレサ

 

佐々木 優(ささき まさる)
ホームケア土屋 四国

 

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