無償の愛はどこにある / 牧之瀬雄亮

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世の中を渡っていく術として、結果的に福祉業を選択するものにとって、ふと付き纏うのは、「自分はお金もらわなかったらこの仕事やるのかな」ということだと思います。

あれこれ理由を並べたところで、無給で生活を完全に犠牲にすることができるかどうかと頭の中で空想してみると、私は1人でとぼとぼ歩いているイメージが湧いてきます。

一方で、昔の田舎の暮らしのように、野菜を分け合う関係のような相互扶助的な、制度でない優しさや付き合いの、見えないネットワークがあって、お金という概念そのものがない世界であれば、誰かにしてあげたくなるような気がするものです。

私は福祉や介護の仕事が「やりがい搾取」ではいけないと思っているし、また、形式や体裁だけ繕った空虚なものでもいけないと思います。

しかし、自分の行う仕事が時流によって価値の変わる値段(金銭)で、安く買い叩かれても嫌だし、過剰に上乗せされて払われても嫌なのです。

じゃあ福祉の適正価格ってどのくらいなのって話になります。
私個人としては無農薬の野菜を周りの反対や反感と折り合いをつけながら作って下さる方々には、専属の腕利き整体師も国家的に配置させて頂いて、毎年3億円ぐらいはカジュアル気分でお包みしたいところです。でヘリで届けると。

ですが現状の世情がそうなっておらないのは皆さんご承知の通りであって、福祉に限らず「他業種とのバランスが〜!!!」と言ってると、もうキリがないっス!ないです。

で本題なんですが、Twitterでこんな言葉を見つけたんです。

「無償の愛とは、幼い子供が親に送るものだ」

これ見て「ウオ〜〜〜!!!!!」ってなりました。
自分も子供持ってなんだかんだ「こうなってほしい」とか「これはやらないでほしい」とか、ナチュラルに思ってしまうわけで、他人に対してはなおのことそう思ってるわけです。
現状条件付きの愛しか与えていないんですよ。私は!

なのに我が子は私の顔を見掛けると「エヘエヘ」しながら寄ってきてくれるのです。
私がどうかしてるとか、偏屈だとか、医者嫌いとか、髪が薄いとか、関係がないんですよ!

なーんだ!そうだったんだ。

よく世間では「親が子に注ぐ愛こそ無償の愛」とか言いますが、虐待事件など見るにつけ、「自分含めて現代人は本能が壊れてるのか?」などと思っていたわけですが、その虐待されても、その結果悔しいことに亡くなった子供たちも、

親へ無償の愛を与えていたということですよ!!!

一緒にいてくれて、何の因果かヘンテコな理屈を押し付けられても頑張ってそれに応えようとして、そうやって子供って生きようとします。

頭が悪いというのは、一つの物事を柔軟に見ることができないことだと思いますが、親のそういう無作法をどうにか飲み込んであげようと子供たちは振る舞ってくれます。

だからこそ私は、出来るだけ揺るがない価値観を探っていたいと思うし、おかしいことに従うことを子供に強要したくないと思っています。また考えることの面白さも伝えたいと思うし、発想を殺さない方法を模索したいと思います。

私はすでにこの年まで一応社会と付き合ってきたために、私なりの処世術を否応なしに身につけており、それは心底気持ちのいいものかといえば、疑問符がいくつもつくものです。

子供と一緒にいて、叱ったりする場面も少なくありません。ですが、その後猛烈に反省します。そんなブレ山ブレ太郎を父と呼んでくれる彼らに私は恩返しができるのか、今心許ないですが、
「俺はな!ブワ〜!!!っとやるぞ!グゥオ〜〜!!!だ!!」という意気込みが、伝わってくれたら、今のところはいいかな、と思っています。

 

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

 

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