小さな自分を抱きしめて∼∼定期検診には行かない①∼∼ / 安積遊歩

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自分の体は医療によっては変わらないと徹底的に思い知った20代まで。つまり、障害のない身体にならなければ幸せになれないのだという優生思想、常識を叩き込まれ、それがどんなに間違いかを思い知らされ続けた日々。骨折以上の痛さと悔しさ、残酷な治療による絶望感。それらに対する激しい怒りで社会を変えたいと活動してきた30代後半までの人生。

宇宙を妊娠したときは、100%彼女は私と同じ体の特質を持って生まれると確信した。だから骨折をしても医者に連れていかないぞという思いは生まれる前からの決断でもあった。その決断は私の身近な人々には支持されたが、原発の爆発でニュージーランドに行った時には、優生思想の過酷な現実を思い出させられた。なぜなら滞在許可証の更新の度に障害のない人には言われなかった、ビザのためのボディチェックが何度も強制されたのだ。それを受けなければ滞在できないと言われて、泣く泣く高いお金を払い1年ごとにレントゲンを含むチェックを受けなければならなかった。

私は宇宙をいわゆる1歳児検診とか3歳児検診とかに全く連れて行かなかった。検診は、それぞれの子の個性を祝福しそれをサポートする場ではない。この大量消費至上主義を肯定、貫徹するための人材作りを進めるためのものだ。優生思想によって社会に役立つか役立たないかを振り分けし、同調圧力に屈するよう仕向ける場だと感じていた。

宇宙は、1歳になってやっと寝返りをした。だから、1歳児検診に連れて行ったら、何を言われるかは、火を見るより明らかだった。障害のない子の発達曲線と比べて、発達が遅いとか、右足首が内側に曲がった内反足で生まれたので、そこに対しても、なんらか言ってくるに違いない。もし予想が的中して、色々言ってこられたとしよう。私は反論できるからいいが、幼い彼女には「言わないで」という一言さえ表現できない。一緒に行くたけさんも強い調子で言われる言葉には、結構黙り込んでしまう。

私は、子どもは各々全く違っていて、検診で「成長」とか「発達」という言葉を彼らに多用するのは実に失礼なことだと考えている。子どもは、周りの大人たちの影響を本当によく受ける。どんな言葉を聞いたか、どんな言葉をかけられたかで、全く違った人間になると直感していたから、定期検診に連れて行って、無駄に否定的な言葉を聞かせる必要はないと思っていた。私の友人は、娘を定期検診に連れて行った時、犬の絵を見せられて、「なんて鳴くのかな?」と質問をされた。彼女は、その絵を見て、「にゃんにゃん」と答えたらそれだけで発達に遅れがあるかもしれないと更に色々な検査をされたと言う。

犬の絵を見て、「ワンワンと鳴く」と言わなければならないとしたら日本語以外の国の人たちは全員発達が遅れていることになってしまう。また、バイリンガルの子は、言葉の発達が遅いと言われるが、確かに友人の子で、4歳まで全く話さない子がいた。彼女の両親は、母が日本人で父がオランダ人。両親の共通言語は英語で、子どもに対してはそれぞれの言葉で、話しかけていた。だから、それをじっと聞き分けながら4歳まで沈黙し続けたらしく、4歳になった時、突然の如くに母には日本語、父にはオランダ語を、そしてみんなで話す時は、英語で話し出した。おまけに彼女は4歳まで歩くこともしなかった。もちろん何度かは医者に行ったらしいが、どこも悪くないと言われ続けた。

もし彼女の両親が発達保障論に巻き込まれていたとしたら、「療育」への道を突き進まざるを得なかっただろう。しかし彼女の母は、私を始め、障害を持つ友人達がたくさんいたので、4歳の娘を乳母車に乗せて、あちこち動き回っていた。そして、突然話し始めた前後から、これまた突然歩き出した。

そういう話をいっぱい聞いていたので、宇宙が一生歩けないことの方が、骨折をそんなにしないで済むだろうから、それはそれでいいかもしれないとさえ思っていた。だから、定期検診は私たちにとっては全く無駄で、保健所から来るお知らせに興味も関心も持たなかった。

そして遂に就学年齢に到達し、学校について考えなければならない時期が来た。もちろん、就学児検診には行かなかった。就学時検診は強制や義務ではなく、ただただ振り分けのシステムであると知っていた。地域の学校に行きたければまっすぐに行けば良いのであって、検診を受けると余計めんどくさくなると考えた。だからそれは無視することにしていたが、学校というものを最初から拒絶するつもりはなかった。

私の母が、私をおぶりながら通学してくれた小学校時代の体験から、排除が過酷でない場所から自ら撤退することはやめようと決めていた。

就学児検診に行かないことで、宇宙が学校で教育を受ける権利が奪われることはない。検診を受けなくても近所の学校に入学式になったらただただ行けば良いのだ。それを知ってはいたが、それをする前に一度は小学校に見学を兼ねて挨拶に行った。

社会というものが、障害を持つ親子である私たちにとってどんなに厳しいものであるか。それを教えてくれるだろう学校。その始まりとして就学時検診をせずに学校見学に行ったのだった。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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