第三項を考える ~怒りの作法~  / 吉田政弘 (専務取締役兼CFO 最高財務責任者)

  • sns

「怒り」の反対には必ず「自由」があるように思う。

一人で怒っているように見える人でも何かしらの要因によって自分の「自由」が制限されたり否定されたりしているために怒っている。
「怒り」はその人の「自由」(=時にはその人が考える「常識))を主張するものであり、表現の仕方には問題があるかもしれないが感情自体は美しく、敬意を感じる。

「怒り」には必ずその矛先があり、その矛先が自然災害などの明らかにどうしようもないものであればその人は一人で怒っているように見えるし、大抵の場合はそうではなく、別の人の行動や発言がその矛先となっている。

しかし、その怒りの矛先となっている人に着目してみると、その怒りの矛先となった行動や発言はその人の考える「自由」(=時に「常識))のもとに行われているものであり、
その現象も尊重すべきものだと思う。

自分が怒るにしろ、他人が怒るにしろ、「怒り」という感情が表面化し、誰の目にも認識されるようになるのは、その怒る人とその怒りを向けられる人が対峙した時であり、その時に「口論」という形で「怒り」の感情が表出する。

その「口論」は、まさに「自由」対「自由」の対立であり、「自由」という如何様にも解釈が可能で半ば無条件に尊重すべきとされている言葉の性格のために、その対立は答えを見失い、その口論は泥沼化し、暴力や罰則での苦しみを与えること以外では「怒り」という感情を抑えられない状態になってしまう。つまり「喧嘩」の状態になってしまう。

両者が、「自由」という、言っている本人も意味はよく分かっていないけれども、どこから見てもピカピカに光っているように見える曖昧なものを武器にして戦うため、両者とも勇者や正義の顔をしており、絶対にその戦いは終わらない。

このような状態をたまにネット上や身の回りでも見かけるが、ここまでいってしまっている場合に注意すべきことは、その口論を吹っ掛けた人も口論を吹っ掛けられた人もその時には目的が変わってしまっており、両者とも間違っている状態だということである。

当初は「怒り」という不快な感情を鎮めるという目的で始まった口論であり、第三者から見ても「怒り」という不快な感情は是非解決し、鎮めるべきだと思うが、上記のように口論が出口を見失い、終わらない「喧嘩」となっているとき、その二人の目的は既に「相手を制圧すること」となってしまっており、その目的は肯定されるべきものではない。

お互いに自由や正義を掲げて対立を始めるが、正義面をして戦っているうちに、いつの間にか二人とも間違った考えを持つ滑稽なピエロになってしまっているのである。

では、この「怒り」という感情から始まり、「口論」を吹っ掛け、泥沼に入っていく「喧嘩」となった二人はどのタイミングからピエロになっているのだろうか。

私は「口論」のタイミングからピエロになっていると思う。

「怒り」の矛先である相手に対して、「そんなことをされたら私は不快だ!」という感情を伝えるということはとても大事だと思う。
ただし、それを「その矛先である相手に何が何でも直接伝えなければ気が済まない!」という気持ちでその相手に「口論」を吹っ掛けるということは、既に「怒り」によって冷静さを欠いており、いくらその人の主張が崇高であっても、やろうとしていることは既にピエロになり始めている。
自分の考えている「自由」こそが正義であり、その正義を以て制圧しようという目的になってしまっている。

「怒り」という感情に接した場合、私は必ず第三項を考える。

「怒る人」(第一項)と「怒りを向けられ反論する人」(第二項)の二項対立では大抵の場合その問題は解決しない。
第一項と第二項の二項対立で解決しようとした場合、必ずその二人は冷静さを欠いてしまい、間違った方向に行ってしまうことになる。

自分の内側に「怒り」の感情を感じたり、他の人の「怒り」に振れた場合、必ず「その他」の立場を取る第三項の存在を考える必要がある。

第三項を考えることで、自分(第一項)と怒りの対象である相手(第二項)の考え以外の「自由」に気づき、必ずしも自分の自由こそが正義であるという冷静さを欠いた考えも起こらなくなる。

そのように考え、思考しているときの感情こそが「憤り」であり、「怒り」よりも少し冷静になった感情だと思う。

自分や他人の「怒り」に振れた場合は必ず自分たちだけで解決しようとせず、中立的な第三者を考え、相談して巻き込み、解決していく必要がある。

会社組織において第三者として相談される立場にあるのは多くの場合上司であり、土屋で言えばコーディネーター、マネージャー層だと思うが、逆に第三者は第三項として存在し続ける必要があり、第一項、第二項に入り込んでいってはいけない。
そうすることで解決の可能性がなくなってしまう。

土屋のバリューの中に
「怒りの爆発は何も生まない、不正には憤ろう、強く、深く、しかし冷静に」
というものがあるが、私はこれを上記のように解釈しており、その実践として、
「怒り」に振れた場合は「第三項を考える」ようにしている。

  • sns