全身麻酔から約1時間 前編 / 平田真利恵

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手術が終わり、病室に戻るストレッチャーの上で私は目覚める。まだ意識は朦朧としている中、自分が今どこにいるのかもよく分からない状態だった。ストレッチャーのガラガラという音と共に、側にいた看護師から「大丈夫!赤ちゃんは元気ですよ」と聞こえてくる。その言葉にホッとした私は緊張の糸が切れたのか、また意識が遠退いていった。

➖ 2007年の夏、私は女の子を出産した。➖

全身麻酔の手術中に幻覚のような悪夢を見ると噂で聞いたのだが、私が見た夢は「介護者から当日ドタキャンの連絡が入り、代わりの介護者を探すために必死で電話をかける」というものだった。

当時、地域生活を送る障害者にとっては日常茶飯事な内容だが、これから先の生活ではできれば起きてほしくない事なので、これもある意味「悪夢」に入るのかもしれない。

病室のベッドに移され30分後。本格的に麻酔が切れ始め、意識もだいぶんハッキリしてくると自分の体の違和感に気づく。ほんの数時間前まで、何をするにも重たく苦しかった大きなお腹がまるで風船が破裂したかのようにぺったんこになっている。

数ヶ月ぶりに膨れていない自分の腹部を眺めていると、フッと不安な気持ちになる。「もしかしたらお腹に赤ちゃんがいた事自体が夢だったのではないか?」と……。

私は生後6ヶ月で脳性麻痺(アテトーゼ型)と診断され、物心ついた頃から身体が不自由で、自分の思い通りに手足を動かせたことはない。そして、年齢が上がるにつれ不随運動と筋緊張はますます激しくなり、常に体のどこかの筋肉や骨が捻れてギシギシと痛むようになった。

その為、10代後半から何種類かの筋弛緩剤を服用するようになった。だが、服用したからといって完全に筋緊張がなくなる訳ではない。

こんな身体と28年間付き合ってきたある日、私は妊娠した。ずっと子供は欲しいと思ってはいたが、正直なところ、嬉しさより戸惑いの方が大きかった。

まず、妊娠中の胎児への薬の影響を考えると筋弛緩剤の服用は避けなくてはならない。医師と相談して薬の調整もできたのだろうが、100%影響が出ない訳ではない。妊娠前から全ての筋弛緩剤の服薬を止める予定ではいたが、果たして10ヶ月の間、自分の身体が持つかがとても不安だった。

覚悟は決めたものの妊娠期間中は想像以上の地獄だった。服薬を止めた途端、全身に強く筋緊張が入り全身の筋肉が捻れ始める。妊娠中の身体の変化に追いつかなくて身体自体が戸惑っているようで、これまで以上の力が入っていった。

そして、身体は極端に片方へ傾き、車いす上でさえ座位が取りづらくなる。ベッドで横になっても一度入ってしまった全身の筋緊張が緩むことは難しく、呼吸をするにも激痛が走った。「自分の身体にいつか殺されるんじゃないか」と本気で思う程だった。

そんな毎日ではあったが、悪阻などの症状がほとんど無かった事・お腹の中の子が、母親の障害の状況など全く関係ないかのように何の問題も無くすくすくと育っていった事が唯一の救いだった。

そしてもう一つ、妊娠発覚の際に「嬉しさより戸惑い」を感じた理由が、シングルマザーとして出産し、介護者と共に1人で子供を育てていかなければならないという事だった。パートナーになるはずだった相手は、様々な事情で「普通の家族」として一緒に生活していく事は難しかったからである。

「家族介護」の考えが未だ根強い日本において、どんなに頑張っても夫婦間で、肉体的・経済的な負担がどちらか一方に極端にかかってくる。それでも、お互い助け合いながら結婚生活を送っている方は沢山いる。しかし、妻として夫にかかる様々な負担を理解し分かち合い、助け合えるほど心の広い性格を私自身が持っていないと感じていたから「結婚」を遠ざけてしまったのだろう。

「結婚をしないで子供を出産し育てていく」という選択をした私は、当然の事だが周囲からとても不安がられた。特に病院の対応は厳しかった。妊娠中期に入ったころ、いつものように産婦人科の検診を受けた。一通りの検査も終わり、胎児も順調に育っている事が確認されて安心し帰ろうとしたとき「医師から話がある」と呼び止められた。

診察室に戻ると、それまで診てくれていた医師とは違う医師が物珍しそうに私と側にいた介護者を見た。カルテを見ながらその医師が言う、
「あなたご結婚は?」
「してません。する予定もないです。子供は介護者たちと育てていくつもりです」

私の言葉を聞いた医師は、物珍しい表情から険しい表情へと変わり、
「介護者と言っても他人でしょ。その人たちが居なくなったら、子供の面倒は誰がみるの?」と強めの口調で問いただしてきた。
「その時は介護をしてくれる人を探します。今までもそうして生活してきました」

おそらく、産婦人科の医師はヘルパー制度など全く知らない人だったんだろう。私の横にいる介護者を、友人かボランティアくらいにしか思っていなかったのかもしれない。そんな生活が不安定な状況の妊婦には責任が取れないと判断したらしく、

「明らかに育児ができないと分かってる人の出産は引き受けられません!しかし、どうしてもと言うなら生まれて来た子供は施設に預かってもらうしかありませんね!!」と医師は当然のように言い放った。

つづく

 

平田真利恵(ひらたまりえ)
1978年8月生まれ

九州宮崎で生まれる。養護学校卒業後、印刷関係の作業所に通う傍ら、様々なボランティア活動に参加。2002年、知人の紹介で東京の障がい者団体を知り上京。自立プログラムを経て一人暮らしを始める。
2007年、女の子を出産。介護者と共に子育てをしている。現在、依頼を受けてイラストを描きながらボランティアで地域の小中学校での講演活動を行う。

 

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