職業について⑥ / 浅野史郎

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神奈川大学を退職するまで残り半年となった頃、(株)土屋の社員の原香織さんに高浜敏之代表を紹介された。高浜さんが介護難民問題の解決に取り組んでいて、「施設から地域へ」といった信念を持ちながら重度訪問介護事業をしていることを知った。重度訪問介護事業についてはほとんど何も知らなかった私であるが、「これはいい制度だ、世界に冠たる事業ではないか」と気持ちが大いに高ぶったのを思い出す。

それから4ヶ月経った12月のある日、私は某所に就活の電話をしたところだった。そこに、原香織さんから電話。「高浜さんが浅野さんを土屋の社員として迎えたいと言ってます」。原さんと高浜さんとの間で、「浅野さんが仕事を探しているようですよ」、「そうか、それならうちに来てもらおう」といったような会話が交わされたのではないか。これ私の推測。

ということで、(株)土屋への入社が決まった。とてもうれしい。73歳の私にとってはこれが人生最後の仕事。それが重度訪問介護事業というのだからうれしくないはずがない。ここで(株)土屋入社というのは奇跡だと思う。運命といってもいい。高浜さんも私の入社がうれしいという。それを聞いて、私はさらにうれしくなった。僕も幸せ、君も幸せ、二人合わせて鉢合わせ。こういった鉢合わせならいい。万々歳だ!

(株)土屋での仕事は始まったばかり、現在進行中である。「職業について」6回にわたり書いてきたが、これでおしまい。

最後に、言いたいことがある。

これまでの私の職業遍歴を振り返ってみる。自分以外の誰かが、何かが、私をその職業に就かせてくれた。公務員になる、厚生省を選ぶというのは私の意思であるが、厚生省入省後は人事異動により、「あっち行け、こっち来い」という具合に職場が決まる。「障害福祉課長に任ずる」の辞令が出た時には「神様がいるのではないか」と喜んだものだが、毎回そうはいかない。意に沿わないポストに就いて悩んだこともあった。

言いたいのは、その次である。意に沿わないと思ったポストでの仕事をやっているうちに、その仕事の意義を知り、立派な人と知り合いになり、仕事が面白くなるということがある。私の場合、厚生年金基金連合会の年金運用部長のポストでの経験である。これを格言的にいえば「足下に泉あり」(ニーチェの言葉)となる。

「自分が今立っているところを深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る」(高山樗牛)といってもいい。唯一無二の自分の処遇に対する受け入れの覚悟と決意、そしてそこから始まる本当の人生に対する、これは応援の言葉だ。「きっと泉が湧き出る」というところが大事。「泉」というのは、仕事の達成感、生きる喜び、満足感だろうか。何でもいい。ともかく、必ず泉は湧いてくる。

私が講師を務める重度訪問介護従事者養成研修で、「足下に泉あり」の言葉を紹介することがある。研修を修了して、実際に介護現場で仕事を始めたら、「いやだな」、「きついな」、「もっといい仕事ないかな」と言いたくなることがあるだろう。そんな時には「足下に泉あり」の言葉を思い出して欲しい。泉が湧いてくるまで、がんばってくれたらいいな。

次回は「本の出版について」。

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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