怒りの作法 / 青山純二(ホームケア土屋 北海道)

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親が子を怒る、上司が部下を怒る等、怒りは種々存在する。親が子を怒るとは躾という意味合いで怒るという意味だが、例えば子育て中に何か良くないことを子が起こすと親は怒る。上司が部下を怒るとは仕事の失敗で部下を怒ることがあるが、その怒りはその人を想って怒ることである。

親が子を怒ることで子は成長する。もちろん非道徳なことがあれば怒るということになる。こうして子は成長して立派な成人となる。この怒るということはむしろ必要不可欠である。先祖代々受け継がれているいわば作法である。

上司が部下を指導するという怒りも同様、成長してほしいという意味である。それ以外ももちろんあるだろう。上記2例はいずれもハラスメントに繋がるということは回避しなければならないし、あってはならないことである。この線引きは明確にしたい。

それとは対照的に理不尽な被害を被る怒りもあるだろう。それはこれまでニュースで取り上げられた様々な事件に関することである。被害に遭われた当事者の方や被害者遺族の方々の怒りは憎しみの怒りであり、どこにもぶつけようがない怒りなのではないか。

このように怒りは人のためを想う怒りと憎しみの怒りと2種類に大別されるのではないか。

冒頭で述懐した上司が部下に対して怒るということも躾の部類に属する。パワーハラスメントは理不尽な怒り(躾)以外はパワハラではないともちろん思うが、賛否はあるかと思う。

職場の人間に対して怒るということは直ちにパワハラ認定されることではないが、部下のためを想う叱責や延いては会社のためを想う叱責は当然あるべきものだと思う。

ホームケア土屋は重度訪問介護を提供している事業所で、更には喀痰吸引や経管栄養を総称する医療的ケアを実施しているが、アテンダント(スタッフ)が余程の間違ったケアをすると教えている立場のアテンダントは怒ると思う。このような怒りはクライアント(利用者)を守るための怒りであり、そのアテンダントに対しても今後の成長のための怒りであり、これは人のためを想う怒りである。このようなことがあれば、この怒りの作法も代々受け継いでほしいものである。

パワハラについては上記を逸脱することがパワハラに該当するのかもしれない。ハラスメントを受けた側はハラスメントだと受け取ればハラスメントに該当するのかもしれないが、仮にそうだとすればこの怒りは憎しみの怒りに属する。

また憎しみの怒りについては昨今、新型コロナウイルスが長期に渡り収束の兆しが見えないため、ある意味怒りがあるだろう。でも誰に対しての怒りか、怒りの矛先がわからない。

この自粛生活がいつまで続くのか、もはや心身の疲労が蓄積し、怒りを通り越しているのかもしれない。

緊急事態宣言が複数回に渡り発令されているが、未だその効果は見られないため怒りが継続しているのではないか。

さらにはコロナ変異株が猛威を振るい出している中、新たな怒りが湧いてくる。この怒りは人のためを想う怒りと憎しみが混在している。我々一人一人が、ウイルスに対して怒りを覚え、この長期に渡る非常事態を終わらせたい。この怒りは当初から注意喚起されているマスク着用や手洗い、うがい、手指消毒、3密を避け、換気をする等の基本的なことを我々一人一人が実施することでこの怒りの代償としたい。

又、自然災害による怒りについて、豪雨 台風 地震 といった自然に対する怒りがある。突如襲来する非日常生活。東日本大震災では津波の映像を目にするたび、怒りだけの感情ではないが怒りが湧いてくる。何人もの方々が亡くなられ、この怒りはどこにぶつけたらいいか。2011年から10年が経ち、被害を被った怒りが糧となり今日まで被災地が再建したのではないか。その反面、私たちは自然界に生かされているという何とも言えない心情である。自然界は普段は私たちに恩恵をもたらしてくれるが数年に数度、自然界なりの怒りがこのような災害をもたらすのかもしれない。

自然界の怒りが私たちに自然を大切にしろと注意喚起しているのかもしれない。もしそうだとしたら私たちはその怒りに対して真摯に受け止め、自然環境を大切にしていきたい。

今後もどこかで災害が発生するという前提に立って我々は生活し、災害があるたびにそこでまた怒りが湧いてくるだろう。でも、もうこれ以上災害がないよう願いたい。

このように怒りは時には誰かのためになり、時には人を傷つけたり、時にはぶつけどころがなかったり、様々存在している。人を精神的に傷つける怒りはあってはならないが、人に役立つ怒りはあって良いと思う。人間の感情は喜怒哀楽があり、怒りについても元々備わっている感情であるが、理不尽な怒りについては当然あってはならないと強く言いたい。また、怒りが発展して暴力を振るうという行為は以ての外である。

怒りは一見、悪い言葉に見えるが、人を尊重しつつ人のために怒るという意味で限定すると、むしろ良い言葉なのではないか?良い言葉かもしれないが、ただ、怒りはないに越したことはない。

 

青山 純二(あおやま じゅんじ)
ホームケア土屋 北海道

 

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