人類は生き延びれるか②~障害者権利条約~ / 安積遊歩

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国連によって制定された「障害者の権利条約」には、他の人権条約とは異質な点が多々ある。その最大のものは障害者の権利条約が完全に履行されれば社会全体の全ての人が平和で幸せになれると断言できるところだ。先住民や子供や女性の人権条約はそれぞれのアイデンティティーの中にいなければその条約で獲得すべき権利は関係はない。ところが障害者の権利条約は、如何なる差別も完全に禁止すると謳うことで、全ての国、全ての人種、全ての年齢を生きている人間に関わっている。人間は生まれたときは最重度障害者、歳を重ね死に向かう中でも、再び体の中の変化を得てゆく。つまり誰でもが障害を持つことに無縁ではない。また子供でも年寄りでもない間であっても、いつでも微細な、或いは甚大な体の変化により、障害から無縁である人はいない。

だから障害を持つ人の権利は全ての人の権利を網羅している。にも関わらず、そう考えながら、それを思いながら、障害者の権利条約を読む人は全くいないだろう。まして多くの日本人は権利意識が低いというか、権利という概念自体がまだまだ浸透していない。子どもの時に自分の権利を主張することは子どもの権利条約により“完全に保障される”と謳われている。しかし実態は「親や先生の言うことはとにかく聞かなければならない」と言われ、それができない子は“ダメな子”“いけない子”と言われるわけだ。子どもたちは自分の考えを表現する権利(子どもの権利条約 条)を知ることなく育つ。それどころか親によっては自分の考えを押し付けて、それに従う子が“良い子”と決めつけ、暴力も辞さない。特に身分制という暴力の極みにあった天皇制をくぐり抜け、平和の中での”平和的?”象徴天皇制の中で疑問を持たずに育っている人たちは、子どもの権利条約に根幹からの同意はできていないと私にはみえる。

私は体中の骨が弱いために父からの暴力からは無縁であった。父に怒鳴られても嫌な気持ちにはなったが、大抵いつも言い返していたらしい。例えば仕事で疲れて帰ってくる父が私たち3人に「誰が食わせてやっているかわかっているのか?ちゃんと勉強しろ!」とか怒鳴っていても、私は「親が子供を食わせるのは親の義務だ!もっと旨いものを食わせろ!」と言い返したという。親が強権を発動しても子どもの親に対する愛はとんでもなく深い。子どもは親に幸せであってほしい、と取り敢えず言う事を聞くが、私は父親が暴言を吐いても黙れなかった。もちろん当時は子どもの権利条約はなかったので、私が黙らなかったのはなぜなのだろう。そこで浮上するのが母の存在で、障害者の権利条約で謳われている「合理的配慮」と「機会の均等」を私に対して生まれた時から夢中でやり続けてくれた人だった。

私は0歳から2歳まで隔日に男性ホルモンを投与された。その恐怖と不快感は、身体に刻まれ、記憶されている。だから、私は13歳から整形外科医療にかかるのをやめた。母は1日おきの注射の痛みで泣き叫ぶ私を、海よりも深い愛情をもって育ててくれた。その注射の影響で、何が起こるか分からない不安。それは私の死を意識させたろうから、いつでも母は、「命以上に大事なものはない」というところに立っていたのだ。

そして命の根幹にあるのは“自由である”ということを知っていた母。自由を保障するための「合理的配慮」や「機会の均等」は全ての人に必須だ。必須にも関わらず、親が言葉で自分のことを十分に表現できない子ども達に深い思いやり(合理的配慮)や冒険や探求(機会の均等)を保障できないために、ほとんどの人が過酷な子ども時代を生き抜くことになる。過酷さが極まって自分の子ども時代に必要だったことを全て忘却の彼方へ押し込む。押し込んだ後に障害を持つ人と出会うから、合理的配慮や機会の均等はまるで人ごとの概念になる。

私にとっては合理的配慮や機会の均等は本当の意味での「愛と正義」である。私は20代の時に青い芝の会に関わり、その行動綱領が好きで自分の中ではそれに基づいて活動していた。その第3項に「愛と正義を否定する」というものがあった。ここで否定されていた「愛と正義」は健常者社会の差別に満ち満ちたもののこと。それは、障害を持つ人たちの命の尊厳、生きる自由を全く保障するものではなかった。愛故に殺しても殺されても仕方がなくて、時には殺すことが正義でもあった。その象徴が障害をもつ子を親が殺す無理心中だ。その無理心中は日本の文化や歴史の中で、仕方がないことという風に肯定的に語られてきた。しかし無理心中を合理的配慮と言い換えることは絶対できないだろう。

障害者の権利条約は、全ての人の人生を豊かにする可能性をふんだんに持っている。愛情と言い換えることで行われてきた主体性や意思の剥奪は、さらに社会をよく見れば、人間は他の生き物にもどんどんそれを行ってきた。すべての生き物に生きる自由がある。それと同時に、合理的配慮と機会の均等も、種差別を超えて、保障すること。それが、人類が生き延びるための確かな道筋であるはずだ。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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