地域格差が奪ったもの① / 平田真利恵

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私が学生時代を過ごした地元、九州・宮崎には身体障害児の養護学校は2校あった。小学部から高等部まで備わっているのはそのうちの1校だけ。中学を卒業した身体障害のある子供たちは、家の近所の普通校に通っていた生徒だろうが、養護学校生であろうが、大抵の子供はこの学校の高等部に入学してくる(本当に軽度の障害児は別だが)。その中には、県内有数の進学校に合格したにも関わらず「身体障害のある生徒の受け入れは難しい」と進学校側から拒否され、仕方なくこの養護学校にきた生徒もいた。

この学校は宮崎県で最初に創られた身体障害児向けの養護学校だった。創立当初は、軽度の障害を持つ生徒も多かったようで活気もあり賑やかだったらしい。しかし、次第に全体の障害の重度化が進み、私が在学中の頃には殆どの生徒が中度〜重度の脳性麻痺を持っていた。

そのため、この養護学校に入学・転校すると高等部を卒業するまでの間、最長12年間の学生生活を同じ校舎と同じ同級生と過ごす事になる。地元の普通校に転校や進学する生徒はとても珍しく、私が在学した9年間でたった1人だけであった。

また、養護学校といっても専門的な知識を持つ教師は少なく、この学校に赴任してきて初めて障害を持つ子供を見た教師も多かった。生徒たちと、どの様に接して良いのか分からず数ヶ月過ごす教師も多かった。教壇に立ち勉強を教える事より、生徒たちの介護をする事を重要視する傾向にあった。

そのような中でも、私たち生徒を理解し始め、教師として何かしらの取り組みをしてくれる人もいたが、転勤が決まり他校へ行ってしまえば、また振り出しに戻る。今考えると、この養護学校には全体的な教育方針など存在しておらず、教師1人1人の思想が生徒に直接的に影響していたように思える。

さて、この養護学校の生徒の卒業後の進路についてだが、今から25年前の当時で、障害者用の職業訓練校に通い一般企業への就職にチャレンジするか、某有名自動車会社による障害者専用の工場に訓練生として入り正社員となるかというのが「一番良い進路」とされていた。

実際は、施設や親元で暮らしながら作業所に通うという生徒が多いのだが……。地元の企業へ就職は勿論、大学や専門学校に進学するような生徒など1人もいなかった。

元々、私が住んでいた地域は普通の高校生でも大学へ進学する割合はまだ低かった時代だった。地元で生活するには高卒で充分という考えも根強かった。そのため、普通の高校を出ても専門学校などへ行くか、地元を離れて就職するかという進路を選択する子の方が多かった。だから、養護学校に通う生徒にとって職業訓練校という選択は、言わば「専門学校や短大へ行く」という感覚に近いものがあった。

就職に必要な専門的スキルを身につけるために1〜2年ほど職業訓練校に通う。専門的な勉強をするので大変な面はあるが、まだ学生のような立ち位置でいられるこの期間は少しだけ「学生気分」というものが経験できるらしい。進路先に訓練校を選んだ先輩たちは、養護学校にいる頃に比べるとそれぞれに目標があるためか、後輩の私の目には生き生きとしているように写った。

不況の中、職業訓練校に行ったとしても就職にこぎつけるのは一部の人だけだったが、まだ人生を諦めるには早すぎる17〜18歳の私たち養護学校生にとって職業訓練校は最後の砦であり憧れであった。

私も当然のように卒業後の進路は職業訓練校を希望していた。一般企業への就職は無理でも何か専門的なスキルを身につけておきたかった。いや、本音を言えば今後、何十年と続くであろう重度障害者としての人生を地元で過ごさなければならない現実から、1年でもいいから目を背けたかったのだ。

しかし、自らの意思で選択した卒業後の進路は「施設に入る」というものだった。これに関しては周囲からは驚きの声も上がったが、自分自身でさえ高校2年まで「職業訓練校に行く」という選択肢しか考えていなかったから無理もない。

私が入所した施設は約6畳ほどの個室で、自炊も出来るようになっていて、緊急時にボタンを押せば24時間体制の職員が様子を見に来てくれるという「ケア付きホーム」という形の施設だ。自炊スペースはあるが、何日か前に頼めば食堂で食事も提供してくれる。門限はあるものの外出も自由にできた。この施設を運営する法人は、他にも作業所や重度身体障害用の大型入居施設やデイサービスなど様々な事業を展開した。

私は、その系列の作業所へ平日は通い、印刷の編集作業をしていた。あれ程までに職業訓練校に行くことに強い憧れを持っていた私が、なぜ卒業後すぐに施設や作業所に行く決断をしたかというと、一刻も早く親元を離れて、県庁所在地のある栄えた地域に出たかったからである。

そして、週末などに行われる福祉系のイベントやボランティア活動に積極的に参加するようになっていった。養護学校卒業前に決めたある計画を実行できるチャンスをうかがいながら……

 

◆プロフィール
平田真利恵(ひらたまりえ)
1978年8月生まれ

九州宮崎で生まれる。養護学校卒業後、印刷関係の作業所に通う傍ら、様々なボランティア活動に参加。2002年、知人の紹介で東京の障がい者団体を知り上京。自立プログラムを経て一人暮らしを始める。
2007年、女の子を出産。介護者と共に子育てをしている。現在、依頼を受けてイラストを描きながらボランティアで地域の小中学校での講演活動を行う。

 

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