小さな自分を抱きしめて〜登校拒否、あるいは不登校の選択②〜 / 安積遊歩

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中学一年の3学期、私は地域の学校の校長の一言で通学権を拒否された。当時は不登校者というのはいなかったし、就学猶予を申請したわけでもないから、私の就学権は完全に宙に浮いた。父は教育委員会に数人知り合いがいたのでそちらから。母は御百度参りのように中学校に通って、私の就学権の保障を訴えた。

その成果もあってか、中学二年からは地域の学校へ通うこととなった。しかし残念ながら、養護学校に通う時にはどこにでもあるスクールバス等の保障は一切なかった。中学二年から通学ができるようになるまでは、私は本当に孤独だった。だから、小学四年生まで通っていたその学校の友達に手紙を書いた。そして彼女らとの友情の復活を求めた。それに応えて、小学校の友人たちが週に1回きてくれるようになったことは嬉しいことではあった。

養護学校に追いやられた障がいを持つ子どもたちは、ほとんどの場合、それまであった地域の友人たちとの関係を断たれていった。それを復活するために、私は自助努力で手紙を書いて、彼女らとの関係を繋ぎ直した。養護学校にいる時は『交流教育』という名で地域の学校から私たちを見に、あるいはお友達になってあげようということで、年に1、2回ぞろぞろと障害のない子たちがやってきた。たった1日でお友達になれるわけもなく、私たちは彼女たちにさまざまな感情、優越感や同情や罪悪感を与える存在として機能させられたと思う。交流教育の後に彼らから送られてくる手紙には、そうした気持ちが書きつらねてあって、嫌な気分にさせられた。東大をヒエラルキーの頂点として置き、その最下位に養護学校を位置させる、さすがの競争原理社会であった。

養護学校に対する嫌悪と反発で、地域の中学校に通学することを激しく望み、それが叶っての中学二年からの学校生活。ところが、当時の中学には、一学年360人の上位50人を週間と学期末テストごとに廊下に張り出すという露骨な点取競争があった。私は常に40番代のどこかにはいたが、心の中でせめぎ合う二つの気持ちがあった。一つは養護学校出身だし、中学一年の3ヶ月は学校側から来るなと言われていた。だからその悪条件の中でもこの成績はよくやったという思いと、もし始めから競争の土俵に乗っていれば、もっともっと点数が取れたという悔しさ。優越感と劣等感がその表を見るたびに心の中に交差した。

学校での競争にうんざりさせられながらも、そこに馴染まなければさらに排除されるのだという思いとで、中学校は一生懸命通い通した。しかし高校は進学校に通学するための足がないということと、たとえ私の成績が良くても大学に入学させるのは父の経済力では兄1人が精一杯という状況があり、高校進学は諦めた。

もちろんそれだけでなく、地域の中学校での時間割は私の体には過酷だったために脊椎の側弯も進んだ。その後2、3年は通信教育の高校にも行く気になれず、家に閉じこもった。中学時代の友人が時々来て大学進学の話をするのを聞き続けて、ようやく通信高校に行くことにした。親は私にせめて「通信高校くらいは出てほしい」とずっと思っていた。だから、通信高校のスクーリングの日の送り迎えだけは親の責任ということでやり続けてくれた。

地域の中学校に通っていたころ、競争原理社会を一瞬抜け出せたような良い思い出もひとつある。成績があまりよくないと言われていた子たちが放課後、私が叔母の迎えを独りぼっちで待っているのを見かねて声をかけてくれたことがあった。私は常々その子たちが、私の身体をからかうような言葉を発しているのを知っていたから、声をかけられても最初は無視しようとした。しかしいよいよ来てくれるはずの叔母が何らかの理由で来れなくなったのだということが明らかな時間となった。それで声をかけてくれた男の子たちもただ「大丈夫なのかお前」というだけでなく、「交代でおぶってやるぞ」と具体的な提案もしてくれた。だから私は普段の彼らの言動に目を瞑り、一か八かの賭けをする気持ちになり、彼らの提案を受け入れた。

彼らは普段の言動とは裏腹に、叔母の家までの約1kmを本当に交代しておぶりながら、優しく送ってくれた。最も心に残っているのは、彼らの優しさ以上に、彼らが私といることを嬉しく思っている、ということが伝わってきたことだった。

この思い出があるから私は、地域の学校で共に学ぶことの大切さを繰り返し強調するのだ。障がいをもつ仲間といたら、優しくいることは必然だ。しかし、そこにプラスして自分も楽しく嬉しいという気持ちが共有されなければ、一緒にいることはだんだん辛くなっていく。お互いが互いの存在によって、孤独から脱出し、そこに喜びを感じる時間の積み重なり。それこそが教育の最も目指してほしいことだ。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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