私が介護のお仕事をはじめた理由 / 三浦耕太 (ホームケア土屋 札幌)

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私は元々、保育士を目指し専門学校へ入学しました。
保育と福祉が融合した保育福祉課へ入学し保育士を目指す傍ら、社会福祉主事とヘルパー2 級も取得可能であったため卒業へ向け取得しました。
保育士になるべく就職活動を行っていましたが、当時男性保育士の需要は少なく、就職も中々うまくいかず時間だけが過ぎ、保育士を目指す志は少なくなっていきました。

就職活動を行う中で面接など実施し、本当に保育士になりたいのか自身でも疑問に思う点が増えていき活動をやめていた時期に、担任教諭より「福祉をやってみないか」との言葉をかけられたのがきっかけでした。率直に当時思った気持ちは「自分には無理だ、人の生活環境に入り込み支援出来る自信はない」。その直後、担任教諭より一つのパンフレットを渡されました。

身体障害者療護施設と書かれたパンフレットの表紙には車いすに乗車されている多くのクライアント。その瞬間、福祉に対する自分の概念やイメージが変わりました。
どんな施設なのか、どういった生活をしているのか、携わる介護とは何か気になり、気付けば面接を受ける当日まであっという間でした。

集団面接の中、「りんごの皮むきを出来ますか?」と一つの質問があり、私一人だけが「出来ません」と答えることになり、悔しい気持ちと情けない気持ちで、面接を終え帰宅後すぐにりんごの皮むきを行いました。早速指を切り出血しましたが、今思えば包丁をまともに持ったのはその時が初めてだったかも知れません。合格通知が届いた時の喜びは今も忘れません。

それから初出勤するまでの間に何度もりんごの皮むきを行ったのも良い経験です。実際に勤務する中でりんごや果物の皮むきをする場面が多く、努力は無駄にならないと改めて思いました。

福祉の学校から来た同期が沢山いる中、保育を専攻していた自身の知識・技術不足を痛感しながら勤務する日々が続き、時に比較されたり悔しい思いも沢山しました。
親や友人、勧めてきた教諭でさえ「すぐに辞めるのではないか」と思われている中、意地でも続けると、若さゆえのプライドだけで続けている時期もありましたが、福祉をやりたいと思ったのは 3 年経過した頃です。あるクライアントとの出会いでした。

当時 20 代前半でしたが、自分とクライアントは同年齢でした。
施設内において困難ケースとされており、いわゆる自傷行為が頻発し過ごされている中、「三浦さん来て下さい」と施設長より呼び出されました。
何か注意を受けることでもしたのかと向かうと、開口一番「あなた保育士を持っているね。担当をやってみないか。困難ケースに対応できる対応策を考えてみてほしい」と話を受け、「俺ですか?わかりました」と二つ返事をしてしまいました。

帰宅後、当クライアントの生活に合う方法は何か調べ・聞き回り、ティーチプログラムの実践にたどり着きました。
確証はない中、また知識もない中、手探りで始め、周囲の協力も得られ少しずつクライアントとの距離を縮めることができ、関係構築に至りました。

関係構築に至るまでの間は何度も壁にぶつかり、誰にも指示を仰げず正しい方向が分からないまま時間だけが過ぎ、クライアントも落ち着かないことが沢山ありました。
「こうであってほしい、こうなってくれたら良い」といった気持ちが逆効果であり、焦りは伝わるんだと実感し、一旦今までの取り組みを止めることにしました。

何を望んでいるのか、何が必要なのか考えた時に、「今の関係性では良くない。とにかく一緒に体を動かし遊ぼう。友達のようになろう」と決め、施設内スタッフ全職員協力のもと、自分とクライアントの新たな関係構築が始まりました。

そこからは早かったです。
今までの取り組みが間違っていたことに気付かされ、クライアントの笑顔が増え、自分への信頼感を表出してくれるようになりました。
ここで友達関係になってはいけないため、距離感を保ち接することで良い関係を築けることが出来ました。

この時期に初めて本当の意味で介護をやっていこう、介護を始めようと思いました。3 年過ぎて思った気持ちから今に至ります。

 

三浦 耕太(みうら こうた)
ホームケア土屋 札幌

 

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