私が介護のお仕事を始めた理由 / 古嶋航太(ホームケア土屋 九州)

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私が介護の世界に足を踏み入れたのは、28歳のときでした。土屋では40代50代から未経験で活躍している方も多いので、早い方だと思ってしまいますが、当時働いていた介護老人保健施設では新卒から長年働いている人がほとんどだったので、周りから大きく後れをとっているという焦燥が強かったです。知識も経験もなく、雇用形態も曖昧、上からは居ても居なくてもいい存在だったので、布切れ一枚で砂漠に立っているような心細さで毎日潰されそうでした。

それでも続けられたのは、並々ならぬ覚悟をもって介護の世界に足を踏み入れたからでした。私にとっての逃げ道はなかった、というより絶望の淵から砂漠まで逃げてきたようなものだったからです。

私の前職はアパレル業で、その裏方はなかなかの体育会系、パワハラの類は茶飯でした。私はその職場にとにかく適応できませんでした。次の日が急に休みになるシフトにも、ノリや付き合いやおべっかにも、何もかもが自分自身のアイデンティティーや文化と齟齬がありすぎて、少しずつ壊れていっていたのだと思います。でも、逃げるのが嫌だったので、歯を食いしばって毎日出勤しておりました。次第に眠れぬ日が増え、出勤前には鼓膜で認識できるほどに心拍数が上がるほどでした。

うまくいかない毎日が続く中、ある日上司が私に向かって提案してきたことは、事態を好転させるために丸坊主になるのはどうか、というものでした。かなり追い詰められていた私は渋々ながらその提案に同意、するしかなく、その日の就業後、職場でバリカンを入れられ生まれて初めて丸坊主になったのでした。

さて次の日の就業前、生まれ変わった私は昨日と変わらぬどろんとした目のまま、全職員の前で朝礼の挨拶をすることになりました。「今まで仕事がうまくいかなかったのは自分自身の不徳の致すところ、この度上司のご助言により坊主になって心機一転、改めて宜しくお願いします、くさぐさ。」パワハラの渦中にいると色々な感覚が麻痺します。私の声はオフィスを駆け抜け、反響する声に恍惚感さえ覚えていたように思います。しかしながらその後も事態は好転せず、摩耗する日々は続きました。

坊主になってひと月ほど経ったとき、明らかに様子のおかしい私を見て、周囲から出勤を止められたため、その場で上司に電話のみで退職の意向を伝え、それで私の前職の経歴は終わりました。もう行かなくていいと思ったとき、体中の力が抜けていったのを覚えています。

そのことがあってから、社会で生きていける自信を失ってしまった私が、社会との繋がりを持てる最後の希望と思い選んだのが介護の世界でした。ボランティアでダウン症の子供たちのダンスサークルに参加していたこともあり、もしかしたらここでだったら生きていけるかもしれない、と思ったからでした。社会経済の中心から外れたところに位置し、穏やかに時間が流れ、給料が安い、これ以上自分に合いそうな業種を他には知りませんでした。

介護の世界でも心身ともに大変なことが随分とありましたが、あの眠れぬ日々を思い出せば容易いことに感じられます。だからあのときの上司に感謝!するほど自分はポジティブには生まれついていないようですが、腹を括るきっかけにはなっているかもしれません。

あれからおよそ10年、重度訪問介護の経験は3年になろうとしています。まだまだ面白いことは多そうです。

 

古嶋 航太(ふるしま こうた)
ホームケア土屋 九州

 

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