テレビ出演について① / 浅野史郎

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1993年(平成5年)11月21日(日)、この日投開票された宮城県知事選挙で私は初当選を果たした。その夜、仙台放送が私をスタジオに招いて、特別番組を立ち上げた。キャスターが「秘蔵映像がございます」といって映しだしたのが、「ある高校三年生の一日」といった映像だった。

当時、仙台放送で放送されたもの。これがスタジオに持ち込まれた経緯は推測できる。仙台二高の英語の授業の様子も記録されていた。その時の英語の先生が仙台放送に「こんなものがあるよ」と教えたのだろう。

この「秘蔵映像」が、私のテレビ番組デビューだろうか。映像を撮られている時も、それがテレビで放映された時も、私は恥ずかしいとか、いやだなとは感じておらず、むしろうれしいなと得意になっていたような記憶がある。私の目立ちたがり屋という性癖は、このころから現れていたようだ。

テレビ出演は楽しいな、やりたいなと思っていたが、これはテレビ局から声がかからないと実現できない。知事になってからは、単発でテレビに出演していた。知事を辞めてからは、複数のテレビ局からお声がかかるようになり、私としても、「喜んで!」とどんどん受けるようにしていた。

どんな状況だったか。2008年の5月~6月の「ジョギング日記」から関連部分を拾ってみた。

2008年5月14日(土)
読売テレビ「ウエークアップ」に出演。ご一緒するコメンテーターは、森本敏さん、香山リカさん、民主党衆議院議員山井和則さん。山井さんと舛添厚生労働大臣とが後期高齢者医療制度について、TV越しにやり合っていた。こういう議論を制度発足の前にやっていれば、こんなひどい結果にはならなかったのにと、改めて思う。

私は年金制度について、「税方式になると消費税をこれだけ引き上げる必要がある」という資料が出された件について、番組の最後に25秒だけコメントさせてもらった。今更の税方式は無理というだけでなく、財源を消費税に求めるのは、消費税の逆進性を考えればナンセンス。25秒でなく、せめて2分半ぐらい時間があれば、もっと説得力のあるコメントになったのだが、これはテレビ番組の限界であり、誰にも文句は言えない。

6月6日(金)
4時半自宅発で、TBSテレビ「朝ズバ」へ。今日は、私の出番が多かった。財務省の「居酒屋タクシー」、大阪府の財政再建プログラムの発表、生活保護における通院費制限問題で、コメントする機会があった。それぞれ、元官僚、前知事、元厚生省勤務ということで、自分自身の問題のような気がするトピックばかりである。「自分のことは棚に上げて」というふうに受け止められなければいいのだが。ということで率直な話をさせてもらった。

6月12日(木)
午後からは、読売テレビ「ミヤネ屋」出演のため、大阪へ。タバコ一箱1000円という話題があった。私は、税収が上がるかどうかはともかく、これで禁煙する人が増えれば、環境浄化、医療費節減にもなっていいんじゃないかというようなコメントをした。早速、そういったコメントに対する文句が、メールで届いていた。それだけ、関心を持ってもらっているというのは、悪いことではない。

6月16日(月)
関西テレビの「痛快エブリデイ」に出演。「男がしゃべりでなぜ悪い」というコーナーであるが、番組自体が終了する予定で、私にとっても今回が最後の出演になる。レギュラーメンバーの大平サブローさんも市民ランナーである。帝国ホテルの前を流れる大川沿いのコースがいいということを、彼から聞いた。今度の機会には、ぜひ走ってみたい。

以上日記からの抜粋終わり。

この頃は、毎日欠かさずWEB上で「ジョギング日記」を書いていた。その日記で振り返ってみたら、2008年はレギュラーテレビ出演が月に10本、講演が年間147回を数えた。テレビ出演は大阪のスタジオが多く、頻繁に東京ー大阪を往復、講演は全国にまたがり飛行機、新幹線に乗りまくっていた。

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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