人類は生き延びられるか ~逝ってしまった友が伝えてくれたこと②~ / 安積遊歩

  • sns

障害をもつ仲間たちへの親からの愛は、大抵大きく2つに分かれる。障害があるからこそ、めちゃくちゃ大事にされ、なかなか外に出られなくなるタイプ。そして障害があることを見たくない、と思うのか、もともと子どもに対してクールなのか、育児放棄のように、まるっきり放任されてしまうケース。その中間あたりに、“子どものためを思って”施設に入れる親もいる。共通して言えるのは、めちゃくちゃ愛されても、育児放棄のような形であっても、そして、施設の中は特に、食べることの選択と自由はなかなかに保障されないという実情だ。

食べることに注目し、十分健康に気をつけられなければ、大量生産、大量消費、大量廃棄というこの社会の経済サイクルに身体が支配されることになる。それを煽るのがテレビのコマーシャリズムだ。ほとんど多くの人が、テレビを持っていて、そこから流される情報を自分で考えたり、調べたりする間もなく、躍られ信じ込まされる。

私と娘の家にはテレビが押入れの中にありほとんど見なかった。それまでテレビを絶えず見ていた人たちには驚きの暮らしだったろう。私自身も、22歳で家を出るまでは、7時のNHKニュース、天気予報、そして小さなときは、民放各社も見ていたから、今でも様々なコマーシャルソングが頭の中を流れる時がある。例えば、洗濯石鹸や飲み物やアルコールの宣伝などは、無意識にさえ思い出したくない。にも関わらず、40年以上も経っているのに、頭の中にふいに流れるのだから驚く。

前回書いた友人は、アルコールこそ飲まなかったが、たくさんのコマーシャルを見ながら様々なお菓子やコンビニ食や、たくさんの清涼飲料水を摂取しながら生きてきた。障害ゆえに腎臓や膀胱がうまく働かないので、人工透析になってしまうけれど、それは嫌だとよく言っていた。

だからこそ私は、「そうならないように私の家の玄米ご飯を、動物性タンパクをなるべく摂らないようにしながら食べるといいと思う。そうすることで少しでも、人工透析になるまでの時間を遅らせることができるかもしれない。」と彼女に話したのだった。彼女は、表面的には同意してくれたが、30代の半ば過ぎまで続いた食生活を変えるのは、とにかく容易なことではなかったろう。それが、押し入れの中にどんどん溜められたコンビニ弁当の空箱となってしまったのだ。

私は、小さなときから何度も、死ぬような目にあってきた。0歳から2歳までの生体実験としか思えない、男性ホルモンの投与やその後の何度もの手術のための全身麻酔。(全身麻酔というのは、技術的にも大変で、特に私たちのように体重が軽ければ、簡単に死を招いてしまう。)また、学校から車椅子では来るな、と言われたり、そんな身体で結婚を望むのは悪魔の仕業だと言われたり、そういった酷い差別もサバイブしてきた。

そんな中で、この世から「死んでしまえ」と言われているなら、自分の身体は自分で大切にして、生き抜こうと思い、20歳くらいからは、食事にもなるべく気をつけるようになった。40歳で娘を生んだ時には、私の障害について言われている西洋近代医学や栄養学からは、さらに自由になった。自分で学んだことや、マクロビオティックの料理教室に通うことで得た情報。そして一番依拠したのは、自分の身体の声と直感だった。

その私の視点から見ると、彼女の食生活はあまりにむちゃくちゃで、彼女の早い死を想起させたのだった。それまでにもたくさんの仲間がアルコール依存や注意深さのない食事で亡くなっていた。だから、彼女が自分より先に目の前で旅立たれたら、という恐怖で、彼女にシェアハウスを出ることを迫ってしまったのだった。

彼女は、私の娘やヘルパーの連れてくる幼な子たちが大好きだったから、自分からシェアハウスを出たいと思ったことはなかったろう。にもかかわらず、私の激しい剣幕が彼女の自立を急がせた。彼女がアパートに出てからも私ももちろん、何度か訪ねたし、彼女自身も人に助けを求めることが前よりは随分できるようになっていった。

2011年東日本大震災の原発事故で、私と娘はニュージーランドに避難。彼女は、私の待ったなしの決断ぶりに後からどんなに戸惑わされたかを友人経由でよく聞いた。そして間もなく、彼女が恐れていた人工透析を始めなければならなくなったという。しかし透析を始めてからは、ヘルパーさんにも家事を手伝ってもらえるようになり、掃除も料理も少しはましになっていったろうと思う。

そんな中彼女に早い死が今年の春、ついに訪れてしまった。ヘルパーさんの話によれば、透析の間に具合が悪くなり、家族や親兄弟の看取りも全くない中で、転送先の病院で息を引き取ったという。生きている限り、死は必ず訪れる。どんなに、体に気遣い、自分にとって良いものを食べていたとしても、生き物にとって、死は必然だ。しかし、だからこそ死もまた祝祭であるような、そんな生き方の果てに死を迎えられたらどんなに良いだろう。

彼女の人生に祝祭と思えるような時間は、どれくらいあったろうか。それでも子どもと遊んでいる時、彼らを気遣っている時の、優しい笑顔を思い出しながら、彼女の人生にもまたたくさんの喜びがあったことを信じている。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

  • sns