地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記㉟~就学猶予から始まった私の重度障がい者人生~ / 渡邉由美子

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私は生まれて以来、ずっと重い肢体不自由を抱えて今日まで生きてきました。
以前にも幼少期の事を記したブログを書いていますが、幼少の頃は1歳半離れた姉がいたことにより姉の友達が家に常に遊びに来ていて、自然と健常児の子どもと触れ合ったり遊んだりできる機会に恵まれていたので、姉と同じ遊びや動きができないと、気持ちは、同じ事をしたい、そのやり方も頭では理解しているのになぜ行動をともにすることができないのかと歯がゆい思いをしたり、悔しさで涙をこぼしたりした幼き日のおぼろげな記憶が今でも残っています。

それでも子どもは分け隔てなく私と接してくれていたので公園のブランコに子どもたちの力でどのように乗せられたのかは記憶にないものの、ブランコを動かした瞬間に座っていられない私は顔から地面にたたきつけられるように落ちて大泣きをしているところに母が助けに来て事なきを得たりしました。

また駄菓子屋さんにその当時20円か30円のお金しか持たずに子どもたちだけで行って、入り口が狭く買いたい駄菓子を見ることがなかなか難しく、子どもたちで試行錯誤していると、気のいい駄菓子屋のおばあさんが奥から出てきて様々試食をさせてくれたり、5円ぐらいのものしか買わないのに、みんなえらいからおまけだと言って、その当時のお金で100円分くらいの駄菓子を袋いっぱいもらって帰り、その当時は着色料がたくさん入っていたので舌が真っ青になったり真っ黄色になったり真っ赤になったりしたものが世界一おいしいものに思えた時代もありました。

そんな幼少期を経て幼稚園に行こうとした時からいやでも重度障がいを意識せざるをえない人生の幕開けとなりました。

このブログを読んでくださるみなさん、「就学猶予」という言葉を知っていますか?今はほとんど聞かれなくなった(今でも長期入院を余儀なくされ重い障がいの為に、就学義務を遅らせることができる制度です。)、就学年齢になっても義務教育を受ける義務を猶予するという教育委員会で定められた、義務教育を猶予したり、免除したりすることを公に認めるものです。

かつての私自身がこの制度の対象児童でした。今は肢体不自由特別支援学校がまだ養護学校と言われていた時代に就学年齢を迎えた私は、幼稚園まで姉が通っていた普通幼稚園と療育施設と言われる障害を軽減するための通所施設に通っていたにもかかわらず、養護学校から就学猶予通知が来て、一生在宅生活で終わってしまうのかと両親がとても落胆しました。

今、考えると、これがすべての自分が受け入れられる社会を開拓する障がい者運動の原点であった気がします。

普通幼稚園に通った中でとてもついていけないことがたくさんあり、ただ体制の整っていないところでお客様みたいに教室に置いておいてもらうだけではなにも身に付かないので、そうではなく私の残存機能や能力に応じて人間として等しく成長できる学校生活を送らせたいと考えた両親や周囲の人々が養護学校への入学を希望させたのです。

私が小学校に入学したのが昭和50年4月のことでした。そして養護学校義務化という法律ができたのが昭和54年だったので、親の強い要望があるのであれば親の全面協力を条件にこの子の入学を許可してみよう、あと4年後にはどんなに重い障がいがあっても訪問学級も含め、学齢期の年齢に達した子どもは養護学校が受け皿となって教育を付けなければならなくなるので、この子を試行的児童として受け入れてみようとの教育委員会と学校長の判断で入学を許可されました。

就学前の就学相談の時から私の能力はとてもアンバランスを極めており、面接で言葉で答えれば良い設問に関しては同じ年齢の子供よりも語彙が多く、そこまで深い質問ではないということまで答えて周囲を驚かせたりする半面、自分の名前を紙に書くとか何でも良いからこの紙に絵を描いてみたいな課題に取り組む為の姿勢を椅子の上で保つことすら出来ずに、机に上半身をうつ伏したまま動けない状態で、課題を出した教師陣が頭を抱える一幕もあったりするほど、入学には大きなハードルがありました。

母親を中心として毎日車で養護学校に送迎し、学校にいる間も親控室なるものが学校に存在する時代で、母が一緒に学校に行き、学業を含め私の出来ないことをカバーする事を条件に就学猶予ではなく、一般の子供と同じ年齢での教育の保障を受ける事が出来ました。
この教育の保障を得ることが出来ていなければ今の私はなかったと思います。

本当は普通学校で小さなころから障がい児と健常児が交わりながら学ぶインクルーシブ教育が受けたかった思いは未だに強いですが、何のお膳立てもない状況で健常児と共にいればいいというものでもないので、私はその当時として養護学校教育を受けたことに間違いはないと思っています。

地域での自立生活もそうですが、何事も前例のない先駆者はいばらの道を開拓するのに苦労します。だからこそ、人間として強く生きていけるようにもなるのだと思う今日この頃です。

就学猶予に限らず、就職猶予、結婚猶予、地域生活も猶予されて一般社会から隔絶された障がい者支援施設で人生を終える可能性も十分あった私が、今こんなに活き活きとやりたい事に溢れて暮らせる人生に感謝しながら、今後の自分の老後も含めた人生をこれ以上何かで猶予される事のないようにまっとうに歩んでいきたいと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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