テレビ出演について③ / 浅野史郎

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テレビなんかに出て、コメンテーターとしていろいろ発言していると、その発言について何かと批判・非難の言葉を投げかける人が出てくる。発言を称賛する人はめったにいない。非難の言葉はネットで飛び交うのだが、ほぼ全員が匿名である。発言への厳しい言葉とは別に「浅野は反日、親韓」とか「知事時代に借金を増やした」といったことを書き込む輩も多い。そんなの気にしていたら、コメンテーターなんか務まらない。悪口言われるのも一種の有名税と割り切っている。

そんなことでは割り切れないひどい投稿もあった。2009年5月某日、そのころレギュラーコメンテーターを務めていた「朝ズバ」で、「私は白血病になりました。しばらくお休みをします」と発表させてもらった。その日だったかその翌日だったか、ネット上に「浅野が白血病だとよ。助かんないよ。ざまーみろだ。今日はお赤飯炊いてお祝いだ」という趣旨の投稿が数十件上がっていた。

これを見て、私は怒りではなく、悲しさを覚えた。人の命についてひどいことを言う人格はあわれだなということである。2年後に番組に復帰した日には、「浅野が急に老けたぞ、誰だかわからなかった」、「ハゲてた。前はカツラだったのかな」といったコメントがネットに流れた。復帰祝いの言葉だと解釈している。その番組復帰がいつだったか、過去の「ジョギング日記」で調べたら2011年7月11日だった。その日の日記を以下に引用する。

2011年7月1日(金)
なつかしい金曜日
朝、6時自宅発で、「朝ズバ」出演のために、TBSテレビへ。2年前までは、毎週金曜日、4時半自宅発で通っていた。まさに、2年ぶりのスタジオ入りである。司会のみのもんたさんをはじめ、コメンテーターの与良正男さん、吉川美代子さんに温かく迎えていただいた。アナウンサー陣は、2年前とだいぶ変わってしまったが、高畑百合子さん、岡安弥生さん、米田やすみさん、男性では奥平邦彦さんが健在で、なつかしのご対面を果たした。

事前に、「感染症が怖いので、スタッフはマスクの着用を願います。握手、ハグ、キスなどのボディタッチは禁止です」と言っておいたら、それが徹底していて、カメラマンも含め、スタッフ全員がマスク着用して働いていた。そんなにも、気を遣って待っていてくださったことに、感激である。

今日付けで、他の番組担当に異動になったチーフプロデューサーの高田直さんにお会いできたのも、うれしかった。高田さんは、私が最初にこの番組に出た時から関わってくださった。2年前、入院のために番組を離れる際に、高田さんに「きっと、戻ってきますから、待っていてください」と言ったのを思い出す。プロデューサーの森本典嗣さん、現在は情報制作局長の吉崎隆さん、新しいチーフプロデューサーの武石浩明さん、スタッフ皆さんの歓待に感謝である。

今回は、番組復帰ではなくて、ゲストコメンテーターとしての出演である。2年ぶりにコメンテーター席に坐ったら、一気に2年のブランクは飛んでいってしまい、口からどんどんコメントがあふれ出てしまうほどであった。やはり、うれしかったし、この職場は、自分に合っているのだなと確認する場面であった。

番組を見たといって、何人かからメールや電話があった。まことに残念ながら、東北放送が7時20分でローカル放送に切り替わるので、一番見てもらいたかった宮城県の方々には、元気な姿を届けられなかった。

番組では、大原博司ディレクターが、私の退院後の生活ぶりを取材してきた内容を15分のビデオに編集したものが流れた。これが、とてもいい出来で、感心してしまった。石巻の小林厚子さん、仙台二高の同級生の菊地昭典君のインタビューも、うまくまとめられていた。大原さん、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

今、この日記を読んでも、当時の私の心の昂ぶりが蘇ってくる。番組仲間は、2年間のブランクを越えて私を迎えてくれた。なんとありがたいことだろう。

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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