私が介護の仕事を始めた理由 / 岩元秀一郎(ホームケア土屋 九州)

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私が介護の仕事を始めた理由、そのきっかけは“悔恨”であり“誓い”だろう。

私は所謂“お婆ちゃんっ子”だった。物心ついた頃に祖父は天国に旅立った。共働きで多忙な両親に代わり、手隙だったかもしれない祖母は、初孫だったこともあろうが、私を様々な場所に連れ出してくれた。旅行の楽しさ、絵画に音楽、食事のマナー、箸の持ち方、それは手厳しく躾られた。

そんな彼女が私に向ける“期待”は幼少の身ですら分かるほどに、とても大きかった。「良い学校に入れ」「良い仕事に就け」「為せば成る」と様々な言葉を浴びた。
そもそも乃木希典や山本五十六や上杉鷹山の言を孫に語り続ける祖母がいるだろうか。時にそれは“呪い”ではないかと思うほど耳に届けられた。口喧しく感じる時もあったが、聡明で博学でユーモラスな祖母がとても好きだった。

そんな聡明さは遺伝しなかったのか、優等生ではなかった私はそこそこに期待を裏切り、現を抜かす為体ですらあった。何かやらかす都度、「瓦も磨けば玉となる、あなたは玉になりなさい」と叱咤されたものだった。

普段なら気にも留めず、会話を交わしていた。足腰が弱くなった彼女の家事を手伝う事もあり、その時に返される「ありがとう」という言葉でチャラになっていたからだ。
ただ、その叱咤が私の芯を抉った日があった。とても煩わしく癪に障ったのだろう。多感な時期をとうに過ぎていたにもかかわらず、祖母との関係性は少し冷え込んだ。

そんなある日、祖母が転倒した。同じ屋根の下にいたにも関わらず、全く気付けなかった。

転倒、寝たきり、そして肺炎の繰り返し…
在宅で介護をする両親、申し訳なさそうにしている祖母、その姿は瞼に焼き付いている。そして距離を置いてしまった自分自身への恥は今でも忘れられない。

あの日、もう少し話を聞いていたら。冷静でいられたら…。
そんな気持ちが胸の中で渦巻き、そんな鬱積した感情を晴らせぬまま祖母は旅立った。

そんな気持ちから逃げたかったのだろう。様々な世界に足を踏み入れた。どの仕事にも充実感があったと思いたい。半面、仕事に溺れることで忘れ去ろうとしていたのかもしれない。
そんな私の職歴の中で、医療機器を扱う職に就いた時期があった。

ここに辿り着く前の話だ。
仕事柄、在宅生活を送る患者宅に訪問することも多く、高齢者はもちろん障害当事者とも会話する機会があった。その時に頂いた「ありがとう」という言葉は、こそばゆく、また歯痒くもあった。それは祖母から返された「ありがとう」と同じだったからだ。呼び起された“悔恨”は私を揺さぶり続けた。

祖母には返せなかった、寄り添い向き合う姿。
今も生き続ける“悔恨”を自分にとっての“誓い”に変えるために介護の扉を叩いた。

祖母が天国に旅立ってから、だいぶ経つ。

この仕事に就いて初めて墓参りに行った夜勤明けのある日、この事を報告した。
聞こえているだろうか、あの世は信じていないけど、届いていると良いなと思っている。
叱られるか、笑い飛ばされるか、それは分からない…。

稚拙な文ではあるが、こうして著すと、改めて身が引き締まり、鼻の奥がツンとする。

婆ちゃん、僕は玉になれるようになってきているのかな。

 

岩元秀一郎(いわもと しゅういちろう)
ホームケア土屋 九州

 

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