あれから25年 / 雪下岳彦

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その日も晴れて暑かった。
「ラグビーのメッカ」長野県菅平高原での大会も、いよいよ準決勝。
毎年、定期戦を行っているライバルチームとの対戦を前に、心躍っていた。
最後の夏の大会、この試合に勝てば決勝に進出できる。
医学部ラグビー部生活6年間の集大成といってもいい、大一番だった。

試合開始は午後1時。
キックオフから、しばらく攻防が続き、その試合で初めてスクラムとなった。
各チームで8名の選手が一つの塊を組み、相手チームとぶつかって押し合いボールを取り合うのがスクラムだ。
私のポジションは「プロップ」というスクラム最前列で相手と直接組み合うところだった。

両チーム16名の選手が息を合わせてぶつかり合うが、しばしばうまく組み合うことができずに、スクラムが崩れてしまうことがある。
このときのスクラムもうまく組めずに崩れてしまい、頭から地面に落ちてしまった。
スクラムが崩れることはよくあるので、いつものように立ち上がろうとした。
しかし、手足が言うことを聞かなかった。
これはちょっとやばいと感じ、「手が動かない!」と助けを求めた。

すぐさま病院へと搬送され、「脊髄損傷」と診断された。
スクラムが崩れた際の衝撃で首の骨が折れてしまい、「脊髄」という首の骨の間を通る大事な神経に傷がついてしまったのだ。
そういえば1ヶ月くらい前、整形外科の教科書を読んだとき、脊髄損傷について書かれていた章があったのを思いだした。
その章の冒頭に、「脊髄損傷は、もっとも悲惨な障害の一つ」というようなことが書かれていたのが印象に残っていた。
自分が、その脊髄損傷になったのか。。。ちょっと憂鬱になったが、その時はまだ実感が湧かなかった。
ただ、この日から第2の人生が始まったといっても過言ではない。

あれから25年がたった。
ケガをしたときは23歳だったので、ケガ後の人生の方が長くなった。
福沢諭吉は明治維新前後の劇的な変化を「一身にして二生を経る」と表現したが、私のケガ前後の人生もまた「一身にして二生を経る」ものだ。
いいことも悪いことも、いろいろあったな。
そして、これからも、いろいろあるのだろう。

25周年記念に、家でちょっとおいしいものでも食べて、26年目を迎えるとしよう。
Life goes on…

 

◆プロフィール
雪下 岳彦(ゆきした たけひこ)
1996年、順天堂大学医学部在学時にラグビー試合中の事故で脊髄損傷となり、以後車いすの生活となる。

1998年、医師免許取得。順天堂医院精神科にて研修医修了後、ハワイ大学(心理学)、サンディエゴ州立大学大学院(スポーツ心理学)に留学。

2011年、順天堂大学大学院医学研究科にて自律神経の研究を行い、医学博士号取得。

2012年より、順天堂大学 医学部 非常勤講師。

2016年から18年まで、スポーツ庁 参与。

2019年より、順天堂大学 スポーツ健康科学部 非常勤講師を併任。

2020年より、千葉ロッテマリーンズ チームドクター。

医学、スポーツ心理学、自律神経研究、栄養医学、および自身の怪我によるハンディキャップの経験に基づき、パフォーマンスの改善、QOL(Quality of Life:人生の質)の向上、スポーツ観戦のバリアフリーについてのアドバイスも行っている。

 

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