自信と驕りの違い / 佐々木直巳(本社・人事労務 シニアディレクター)

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自信を持つことはよいことですが、同時に「驕り」を知るべきだと思いました。
自信とは驕りと紙一重なのだというのは有名なもので言えば、それは平家物語の冒頭文でしょうか。「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」
自信は過信に陥りやすく、そこに驕りという油断が生まれると、その繁栄はずっとは続かず、消えるときはあっという間であるという、良く聞く一文です。

主語に置かれた「驕り」という言葉、英語では「プライド」に置き換えられるそうです。お題を頂いたこの機会に、「驕り(=悪いプライド)」をあらためて知ることで、「自信(=よいプライド)」を正しく持つことができるよう、また、戒めとして心に留め置いておくべきことを書き記してみました。

「驕り」
少し範囲の広いところ、企業の例えで言えば、成長と衰退といった事案を扱うビジネス本でよく目にする言葉なので、自分の場合、この「自信と驕り」で思いつく話は最近でいえば、液晶AQUOSで有名なシャープの衰退です。古い話では、かつて大西洋を横断していた「コンコルド」という超音速旅客機のことが思い出されます(例えが古すぎてごめんなさい。でも当時ドゴール空港に見に行ったことがありますが、なかなかカッコよかったです)。

どちらもその当時、時代を席巻し、ブランドとしては一流でしたが、その「プライド」が邪魔をして経営面では引くに引けず、それまでの投資や努力を惜しみ、周りが見えず、やめるべきことをやめられないという心理的傾向を生み出し、大失敗の典型例としてよく引き合いに出されていました。

さて、出帆間もない我が社ですが、太古の昔から現在にいたるまで、あらゆる組織、会社の不幸の主な原因のひとつには、驕り、傲慢、すなわち「悪いプライド」が、会社の行く末を左右することになるのだという教訓は、これから永く、成長していく中で、やはり警戒しなくてはならないものだと感じたところです。

閑話休題。話が逸れてしまいましたが、もっと身近な、自身のサラリーマン経験から思うところに目を向けた話をしてみたいと思います。ひとつ前の会社に20年ちょっと、勤めていましたが、仕事を続けているうちに「プライド」という分厚い鎧で肥大した、プライドの塊のような方をよく見かけました。

確かに多かったと思います。営業の世界に身を置いた方なら、きっと身近に居たのではないでしょうか。成績さえ出せていれば、「孤独」でも会社内で生きていける生業からか、会社組織の中に案外多い存在だったのかもしれませんが、いずれにせよ、人とつながりを作ることも非常に難しくする苦手なタイプの方です。

本来、相手の気持ちに寄り添い、共感し合い、理解し合うことで、関係性は深化していくものですが、強すぎる「エゴ」に対するプライドなので、胸襟を開いた「歩み寄り」を阻む輩です。

営業マンだからそうだというわけではありません。会社という狭い社会の中で、どちらかが上でどちらかが下という力関係に基づくコミュニケーションを続けていれば、そのなかでバリバリと働けば、男女問わず、「プライド」を背負いやすく、セットで付いてくる「孤独」も違和感なく受け入れて生きていくのでしょう。気付かないうちに心を蝕まれていくのかもしれません。

プライドという言葉ですが、意外に日本ではポジティブに使われることが多いですが、調べてみたら実はキリスト教では罪の根源とみなされる7つの大罪の筆頭だそうです。その7つとは「傲慢」(これがプライドです)、「強欲」、「嫉妬」、「憤怒」、「色欲」、「暴食」、「怠惰」という感情や欲望に属するというのです。

もともと、プライドとは、自分の能力に対する過信、おごり、高ぶりという意味だそうで、ほかの人の利益を犠牲にする極めて重大な罪であると考えられていると、ありました。まさに「おごれる者は久しからず」の「おごり」にあたります。

でも一方では、「誇り」にあたるプライドもあります。つまり、プライドには「良いプライド」と「悪いプライド」の2種類が存在するということになります。

「良いプライド」とは、自分の持つ能力に対する誇りの感覚です。自分の仕事に対する献身やその成果に対する満足感など、自分の内面から湧き上がってくる「絶対的な感覚」。恐らく他者がどうこう言うことで変わってしまう価値ではなく、内面に秘め、積み上げられた確固たる価値観の「自信」。こうしたプライドは周囲から尊敬の念、共感も得やすく、また自分のノウハウや技術を共有して仲間をサポートしようとする行動につながりやすいものです。

一方で、「悪いプライド」とは、人との比較で得た違いで、どちらかが勝っているかを比べ、そこに優越感を感じるようになる、ある意味、軟弱な価値観ということで、薄っぺらなものに見えます。そして少しでも自分の方を高く認める事ばかりを探し、そこに心の安定を求めるので、相手が弱ければ強く居られるけれど、強い相手が現れると、とたんに不安になり、弱くなり、敵対視し、その繰り返しで、いつまでも満たされないままの状態になるのだと思います。

自分の地位、支配力を常に、過度に誇示したくなる一方で、強い相手の出現などに恐れ、その不安から逃げたり隠したりするために、そのコミュニケーションは常に強く見せたがりの、攻撃的で、でも評価も落としたくないなど、様々な不安の種が尽きない為、容易く悪循環に陥るというのが、悪いプライドということです。

当然のことながら他者との関係性が悪化するのは目に見えています。誰かと比べて得られるプライドは「相対的な自信」であって、それは単に守りに入るだけの弱いものなのかもしれません。

つまり「プライド」・「誇り」とは、他者からの評価とはまったく関係がない「絶対的な自信、価値観」であり、対する「驕り」・「傲慢」な「プライド」は肩書や身分を根拠に、自分を誇大表示して見せようとすることです。結局のところ、それは他者からの承認や評価に依存して得られるもので、他人と比較したときの優位性に基づく「相対的な自信、価値観」ということで、それはとても脆く、もはや百害あって一利なしということでしょうか。

「良いプライド」はきっと謙虚さも伴うものなのでしょう。たとえば職人が現状に満足せず、つねに高みを目指し、より良いものを作り続けようとするひたむきな、真摯な姿がこの典型なのではないでしょうか。

一方で、自分を進化させていく努力をやめ、他者との競争や、他者からの承認によって存在意義を求めようとすれば、そこには最終的に、空虚さと孤独しか残らないということです。人は案外、このまがい物のプライドにとらわれやすいのかもしれません。サラリーマンには、任された役割に応じて職位が与えられますが、そこに正しい、真のプライドをもって、自らを進化させるプライドを持ちたいものです。

はたして、私たちは与えられた任務、職責を全うしているだろうか。
決して悪いプライドとならぬよう、自身を顧み、慢心せず、日々の業務に精進することが大事なのだと、身を引き締めていこうと思います。

社会人の心得としても、その「プライド」の真贋で、人を見極めていく必要があるでしょうし、自社の存在価値をひとりひとりが自分の自信と誇りの観点から見つめ直すことは、とても大事な事だと思いました。

 

佐々木 直巳(ささき なおみ)
本社・人事労務 シニアディレクター

 

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