重度訪問介護で平和をつくる~赤ちゃんと一緒に~ / 安積遊歩

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私は0歳から2歳まで1日おきに男性ホルモンの注射をされた。それはそれは残酷な、治療という名の暴力で、私は一切赤ちゃんを見る大人たちの眼差しを信じなくなった。特に母親は私を心底愛し、生きていてくれるだけで十分と思っていることは、彼女の所作から歴然だったのに、それでも医者の暴挙を止められなかった。だから私は母親をむちゃくちゃ愛しながらも、彼女の無知と彼らの権威に抗えなかった彼女を心の中で軽蔑し、恨み続けた。

30歳でピアカウンセリングを使いこなすようになって5、6年は彼女を理解して心から愛したいと、その軽蔑と恨みから自由になることに取り組んだ。その前の10年、重い障害を持つ人たちの解放運動に取り組んでいたことで、ピアカウンセリングで使っていた理論を非常に有効に使うことができた。重い障害を持つ人、最重度障害を持つ仲間たちは、赤ちゃんのときのままで生きている人が多かった。言葉も全く無く、食べるものも流動食だったり、排泄はおむつであったり。何度か訪ねるうちに、こちらからの働きかけを理解していてくれるのだと感じられる仲間もいたが、そんなこちら側の思いとは関わりなく、とにかく彼らは生きていた。

もし人間が赤ん坊の時の状態のままで生き続けるとしたら、どんな対応をされるのだろうと、わたしは生まれた時から危惧していたような気がする。なぜなら、先にも述べた通り、わたしは無茶苦茶に注射をされ、手術もされ、ギブスにも拘束され続けてきた。

一番はわたしの死を恐れての治療行為でもあったろうが、とにかく赤ん坊のように何もできない状態であってはならないという優生思想が、この社会を覆い尽くしている。

20歳の時に出会った青い芝の会の四項目の行動綱領は、その優生思想を断ち切るための強力な指針となった。それは私の徹底的に内面化した優生思想を激しく覆してくれたのだった。第一項の「我々は自分が脳性麻痺者であるということを自覚する」それは、自分の体の現実をなんの比較も絶望もなくそのまんまでよしとすることである。そして第二項は、そこから強烈な自己主張を行う、と謳っている。自分の身体を良しとする自覚に基づいての強力な自己主張は、自然に第三項の「愛と正義を否定する」に繋がっていく。

ピアカウンセリングに出会うまで、わたしはこの第三項に巡り合ったことで、母からの愛と正義を否定しつつも、そこに憎悪を内包したくなかったのだ。すっぱりとそれまでの健常者文明の歴史からやってくる愛と正義は否定しながらも、そこに憎悪という混乱した感情をない混ぜにはしたくないと感じていた。心から母を愛したいと、ピアカウンセリングで赤ん坊のように何度も何度も涙を流し、震えながら怒った。それは、その行動綱領の第四項を期せずして使っていたとも言える。第四項は、わたしたちの社会変革は問題解決の道を選ばない、と謳っている。

わたしたち障害を持つものは、記録されている人類の歴史の中にあって、どの地域、どの時代においても、全く尊重されることなく排除隔離され続けた存在であった。それは人の一生の中では、新生児から10代くらいまでの成長段階を踏襲しての存在の許され方とよく似ている。つまり、重い障害者は赤ん坊と同じで、なにも分かっていないと決めつけられる。ただ、赤ん坊が重い障害を持つ人と違うのは、何も分かっていないと決めつけられたその時代を、数年でくぐり抜けてしまうという点だ。赤ん坊と同じ、自分の自由にならない身体をもっていても、あるいは周りと全くコミュニケーションが図れなくても、その身体を肯定すること。それが第一項である。そして、第二項はそこから強烈な自己主張を促している。わたしは、母への軽蔑と憎悪は第三項の「愛と正義を否定する」という項目を吟味することで自由になっていった。ここで否定されているのは、優生思想に則った愛と正義である。それを母に向けてでは無く、ピアカウンセリングのセッションを使って、つまり、問題解決の道を選ばず、母のいないところでいかり、号泣し続けた。そして、母の生前に彼女への真の愛と正義を取りもどすことが出来たのだ。

だから、わたしはピアカウンセリングの中で、母の無知を思い切り軽蔑し、意思に抗えなかった弱気を言葉にして、涙にして出しまくった。それは、母のいないところで母を責める行為ではあったが、それこそが第四項の問題解決の道を選ばない、ということであっただろう。充分に母を責めまくって数年を過ごした後、わたしは母への軽蔑と憎悪が一切消失したことを感じることができた。

だからこの重度訪問介護は、障害を持つわたしたちと介助者、それぞれの赤ん坊時代がどのような状況下で生き抜いてきたのかを知らせ、考えさせてくれる制度でもある。ほとんど多くの人は、対等にケアされる赤ん坊時代を過ごしてはいない。それどころか、早く大きくなって独り立ちできるように、と周りの期待をかけられ続ける。

自分の身体を肯定する一瞬も、赤ん坊時代にはないだろう。あったとしても、ケアされることに従順で、可愛らしくいることでしか周りの大人からの肯定的な眼差しはない。重度訪問介護の制度の下で、赤ん坊のように最重度障害を持つことになった場合、そのシステムを使うことがどれほど困難で、混乱をきたすかは、その赤ん坊時代の影響を激しく受けているのである。わたしは、重度訪問介護のシステムをより良いものにしていくために、赤ん坊は何も分かっていないという大人の勝手な思い込みを、変えていかなければならないと思っている。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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