地域で生きる/21年目の奮闘記㊴~私が受けた時代の養護学校教育~ / 渡邉由美子

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私は昭和50年に小学校入学の年を迎えました。幼稚園は普通幼稚園にも少し通ったので、地元の普通小学校と今でいう肢体不自由特別支援学校(当時は養護学校)どちらに入学するか両親がとても悩みました。

まだその頃は機能回復訓練を一生懸命行えば、座れるようになったり、立てるようになったり、せめて四つ這い移動ができるようになったりするのではないかと思っていた両親が養護学校進学を決めました。

その頃、私は何も知らず、のほほんとしていましたが、現在の介護保障運動に繋がる当事者の先駆的な先輩たちが養護学校義務化反対運動を熱く激しく闘争的に行っていたことを大人になってから知ることになりました。

私は質問に対して言葉で答えれば良いことは割と的外れになることなく的確に答えることができましたが、動作が入る課題になると急に何もできなくなるという状況で、入学前の就学時相談の時から「この子にどうやって勉強や社会的道徳を教えていくのか?」ということがすごく議論になっていて、様々な物議を醸しだしていました。

まだまだ学校教育法の中で、養護学校という障がい児向けの特殊学校で何を教え、どういう児童生徒像を作っていくのかといった課題が解決されていない状況の時代でした。養護学校義務化前だったので、母親の付き添いが必須ということと、校外に出る行事があるときには父親の同伴も条件にされた上で、入学が認められました。

今の体制ではこのような医療的ケアがない状態でこういった条件を求められることは、考えられないことです。

母親は私が一人暮らしをする(自立生活を成し遂げる)まで32年間、母親の歳にして62歳まで、私の専業介護者として私に人生を捧げてくれました。母には母の生き方や人生があるにも関わらず、このような状況で長い年月暮らしてしまったことについては本当に申し訳なかったと思います。

私は母ありきでしか生きられないと、ずっと疑いもせず思っていました。そんな中での小学部教育について今回は書いていこうと思います。

まずは、親控室なる部屋が教室の近くの場所に設置されていて、自家用車で自宅から学校に母親の運転で連れて行ってもらい、母は必要に応じて教室に来て手伝うという状態で、毎日週5日、学年が上がってからは6日通学していました。
私よりも4~5年先輩の人たちは子どもを学校に行かせるために12年間控室に詰めていたという伝説も聞いたりしながら学校生活が始まっていきました。

友達のご父兄の方と当番を決めて様々な障がい児に対応しながら母親が学校にいなくても送り迎えさえすれば通学が可能となるような体制も築いてみたりしました。しかし私はその時も介助度が重すぎて結局他のお母様では対応できず、毎日学校にいることとなりました。

ただ待機していても時間がもったいないということで本来教師が提供する漢字カードなどの教材も母が私に使いやすいように工夫をして作ってくれたりしながら母と二人三脚の学校生活が小学校の4年生まで継続され、よく毎日親子で通い通せた、などということをいまだに語っています。

椅子に座ること一つできない身体状況の肢体不自由児である私は、座れる椅子作りから教材教具を作ってもらい、やっと勉強が始まるという状態で、文字も1人ではなかなか書けず、何年も教師が書いた上をなぞる事が精いっぱいな状況でした。

数字の8はお団子2つで書けたことにしてもらったり、数字の9の棒はいつも反対に書いて9って書きたかったことを周囲が理解して書けたことにしてもらったりしていました。

そんな小学校生活は親や教師が先回りして何でも私の不自由を解決し、出来たことにしてもらえるといったことから、今から思えば意気揚々と世の中に怖いものはない、ぐらいの勢いで生活をしていました。

私たちの小学生時代では、養護学校でも体育がかなりハードにある時代で、体育館には冷暖房設備はないのが当たり前でした。夏は今ほど暑くはなかったような記憶ですが、冬は体が動かせず自分で熱を発することのできない私は足が倍くらいに腫れ上がる感じでしもやけになってしまい、一冬それを悪化させないことを目標にするケアが増え、週末で少し良くなっても学校に行けばすぐ悪化するという繰り返しで、とても辛かった記憶の一つでもあります。

運動会も綱引きとか組体操、棒引きなどかなり私の身体状況には過酷な種目が普通にあり、一番下敷きになって綱と一緒に右へ左へ体を引きずられ綱を引いているというよりは持っている感じで体ごと引きずられていました。

その当時は、なぜ重い肢体不自由なのにこんなことしなくちゃいけないのか、と疑問に思っていましたが、今思い返してみれば、この時に培われた寒風に触れるだとか、無理だと思っても諦めずやってみるといった根性精神は、ひ弱だった体力をすっかり丈夫にしたり、今をたくましく生きる上での基礎となっている気がします。

今回は小学生の時代のことを書いてきましたが、中学生も本当に様々なことがあり、その時代があったから今に繋がっているので、次回は中学生の時代のことについてもお伝えしていこうと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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