お~い、這ってるか~い!? / 牧之瀬雄亮

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私の家には私以外の人間がいる。昆虫類や、毎年台所の網戸によじ登っているヤモリや、一階と二階の間に間借りしている何らかの哺乳類(爪を出しっぱなしで歩くので猫ではない)、雨上がりに晴れたとき、匂いでわかる猫が用を足した気配。あとたまに生ごみをあさりに来るカラス。

庭には私自身は遺影と日記でしか会ったことのない亡くなった妻の母の父、いわゆる義理の祖父の植えた名も知らぬ植物も鎮座し、毎年意外なタイミングで花を咲かせて私を驚かせる。

居間の窓の正面にはこれまた義理の祖母の、認知症がいよいよ極まってきた頃、日に三度は摘んできた立派な紫陽花がある。詩心のある認知症である。

そして義母には「雑草でしょ」と言われる私の大好きなシダ類もある。

幼いこどもが縁側に出て遊んでいると、ダンゴムシがどこからともなく這い出し、こどもが踏んでしまったり、父である私にとって見せようとつまんだ力加減で、思わずつぶしてしまったりする。

東京の郊外で(今の住まいも都市部ではないが)、一人暮らしをしていたとき、その時借りた部屋は一階で、自分だけの庭があり、特段手入れをしているような庭でもなかったが、杠葉(ゆずりは)が植わっていて、秋ごろになれば、狭い私用の庭は落ち葉でいっぱいになった。

その葉があるときもない時も、私が窓を開けて煙草を吸いながら庭を眺めているとダンゴムシがしゃらしゃらと歩いてくる。こちらにとっては彼らの用向きというものは全くわからぬ見当のつかないものだが、酔いが高じて、その時食べていたアーモンドの焼いたやつを一つ、ダンゴムシの群れの中に置いてみることにした。

アーモンドに出会ったことや、これが彼らにとって食べ物か否か、また毒はないかという知見が無いためなのか、ダンゴムシは謎の物体の登場に驚天動地、すわ兎も角はやり過ごさんと、得意の球体戦法に出た。

私はしばらく眺めていたけれど一向にダンゴ衆、動き出す気配がなく、やがて私自身の気がそぞろになり始め、煙草をふかしたり、酒瓶の残りをすする、小用に立つなどしながら、過ごしていて、もう少しで自分がした煎り豆設置の行為を忘れそうになったころ「あ、そうだった」と目をやると、ダンゴの虫の皆さん(おそらくご家族)は私が設置したアーモンドに頭をくっつけて、あるいはアーモンドに乗りかかりながら、言葉で言えば群がっていて、どうやらほんの微量ずつ、食べているようであった(彼らの口の大きさを考えれば微量ではない。私には微量に見える。基準は私の口であり、私の食事の量である)。

よく見なければ本当に食べているか分からないほどの量であり、方々別の個体(家族?)がそれぞれに一つのアーモンドをつつくので、ほとんどただ揺れているように見えるのだった。

汗が滲むような夜だったから、夏だったと思う。

昔は濃い煙草を好んで吸っていたので、口の中に染みたヤニが、暑さを私に固定させるようだった。鬱屈しやすいくせに夜が好きな私は、昼間のうちには何でもない部屋の隅に、日が落ちてからゆっくりと生じる湿気を籠らせ閉じ込めたような暗がりの中に、そのまま私自身が引きずり込まれていくような思いがするのを、酒を飲んで気絶することでやり過ごしてきたのだった。あの汗と暗がりの気配は、今でも覚えている。

今こうして文章を書いている自分はあの時の自分なのかといわれると、そうなのだがそうでないような気持にもなる。本当は自分は何人かいて、私が引き払ったあの部屋の暗がりの中に、当時の私が一人、暗がりと一体となって座っていて、ぬるいままの酒を飲んだりこぼしたりしているのではないかと、ふと考えることがある。

やっと来た朝に、ほんの少しの安堵と、日々という社会的約束の繰り返しの横柄を感じ、またそれを基準に動く社会のよそよそしさに準じようと、酒でこわばった体を調律しようと窓を開けた。昨晩のアーモンドを見ると、3割がたえぐれていた。

「やっぱり食べていたのか」と思った。

白くむなしい作り物のような日の光に照らされて、「生きているもの」の気配を感じたのだった。

 

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

 

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