コロナから重訪を考えて見る / 安積遊歩

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オリンピックとパラリンピックが終わった。一時コロナの感染も世界中爆発的に増えた。各国に友人がいるし、ニュージーランドには娘もいるので、色々な情報が聞こうと思えば聞こえてくる。

ニュージーランドは長い間感染者数が多くても10人前後だったにもかかわらず、最近は数百人を超える感染者となった。増えたと同時にハードロックダウンになった。

車椅子で職場に通っている娘にとってはテレワークも身体には楽だが、やはりあまり長く閉じこもらざるを得ないのは辛いとのこと。4、5日前にロックダウンが明けて良かったと言っていた。

スリランカやフィリピンやベトナムの友人たちはニュージーランドのように補償がない中でのロックダウンなので本当にキツそうだ。日本は緊急事態宣言は出ているけど、やはり何の補償もないからハードロックダウンでは全くない。

ただ公共の場でマスクをせずに出歩く人はほとんどいない。私はしょっちゅうマスクを忘れるが、それは目線が低いことによって同調圧力をあまり感じないで済むからだと思うようになった。

日本人の同調圧力の凄さはなかなかに注目に値する。マスクをつけなければ外に出てはならないとなれば、感染予防というより人に迷惑をかけてはならないということでみんなマスクをする。

私は小さいときから存在そのものが迷惑だと言われている気がするので、先に書いた目線プラスほとんど同調圧力というものを気にしない。だから、マスク着用をしょっちゅう忘れて、あちこち出かける。

だから堤防の近くを散歩をしていたときに急に「マスクをしなさい」と注意されたことがあった。もちろん忘れていただけだったからすぐに着用はしたが、その女性の言い方の強烈さに、久しぶりに驚いた。彼女自身がどれだけマスク着用での感染予防効果に確信を持っているのか、不思議な上に、多分そうした確信がないところで、2メートル離れていた私に対して、強圧的にものを言う。

私は全く恐怖は感じなかったが、若かったり、そういう言い方に痛めつけられて育っていれば、その言い方に恐怖が容易に喚起されることだろう。そしてそれを回避したくて人々は同調圧力に巻き込まれていくのだ…。

最近、安楽の全体主義という言葉を聞いた。私たち日本人が戦後求めて来た便利さ、豊かさは安楽でいたい、そうならなければならないというところで、自主的思考停止状態を生み、それに順応し続けて来たというのだ。

そこに優生思想が優生保護法という法律になって現れたものだから、さらに安楽全体主義は加速しただろう。

障害を持つ人の身体は、どうみても安楽とは言い難い。障害のない人の身体が便利で強い体であるなら、不便で弱い体となる。歩くことさえ遅いか時には全くできない体は、安楽とほど遠いから人生の途中で障害を持つと、うちなる優生思想に強烈に縛られて、自己否定感は半端ない。何しろ、便利に動き回り必要が有れば、敵の命を奪うことさえできるのがあるべき体という、優生思想社会を生き抜いて来たのだから。

もちろん先天的あるいは幼い時からの障害を持つ人でも周りの大人たちからの優生思想と安楽全体主義への刷り込みは激しいから、物心ついた頃には自己否定感満載の人間に出来上がる。

自己否定感は、思考停止状態を強烈に促してくる。ダメな自分には何も考える力がないし、何を考えたって、ダメなことでしかないという悪循環になるわけだ。その循環すら止めてしまい、残るのは周りの人に合わせて生き延びようとする異様な順応力だ。

この生き延び方は健気であると言えなくもないが、「空気読めない」とか、「天然」という言葉の中に、同調圧力に巻き込まれない人を排除していこうという意思を感じる。安楽の全体主義や優生思想から出て、どんな人とも対等で気持ちの良い関係を作っていくこと、それを模索するために、一対一での重度訪問介護という仕事には、思考停止状態と同調圧力からの脱出のヒントがある。

まず1番目に、何より、病院や施設に閉じ込められているとクラスターが簡単に起きるが重度訪問介護で暮らしている仲間は予防を徹底しているのでクラスターが起きにくい。集団生活の中であれば。常に介助者の人数は不足しているから、予防を完全に行うことなど不可能だ。何より、集団生活というのは人生のほんの一時期にたまに必要となることがあってもそれは人間的な生活とは言えないものなのだ。

2番目に、人間的な生活というのは自分の意思に基づいた生活である。にもかかわらず、重い障害を持つ方は社会がその意思を聞こうとしないことで、何も考えられない人だと決めつけ、その意思を黙殺してくる。しかし、重い障害を持つ人にもみんな意思はある。触れ合えば触れ合うほど、関われば関わるほど意思があるということがわかっていく。その意思を尊重して、暮らしを立てていくこと、それは単に福祉サービスという次元の低いものではなく、争えない体を持つ人の存在意義を証明することでもある。重度訪問介護は真の平和社会作りへの取り組みなのだ。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

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