地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記㊸~障がい者運動との出会い、電車乗車拒否 前編~ / 渡邉由美子

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前回まで、私の学生生活を様々書いてきました。これから、その養護学校を卒業した後に私が何をして今まで暮らしてきたかについて書いていこうと思います。

今日のテーマは日常の移動の足である電車に乗ることにまつわる、今を去ること30年前の話になります。しかし、今でもちょっと都心から離れた場所では同じような状況に陥って電動車椅子はまだまだ立ち往生したり、駅員と言い争いになったり、何時間も待たなければ階段を持ち上げてもらうことができないままその場にいざるを得ない状況となる問題がしばしば起こるので、昔は大変だったと過去形でくくることはできない、現在進行形の問題とも捉えられることなのです。

私の実家のすぐ目の前には私鉄が走っていました。それこそ歩いて一分ぐらいで駅に行けるのですが、私があまり意識のないくらい小さな頃には家族と乗っていたと聞きましたが、物心ついて自分が意識的に行動するようになってからはずっと、電車は家の窓から眺めるものであって自分がどこかに行くために乗れるものではないと思い込んでいました。20歳を過ぎても、そのような経験値のなさから切符の買い方も知らない状態が続いていました。

まず、自立生活を目指そうと思う前は「外出=家族の都合を聞いて、都合の良いときだけできるもの」と考えて、それに何の疑問も持たず、ましてやそのこと自体が人権の否定に値することなのだという意識は微塵もありませんでした。そんな状況の中で養護学校を卒業してすぐに通った障がい者版のカルチャーセンターで安全管理者として働いていた指導員さんとの出会いがその後の人生の行く末を大きく変容させるきっかけとなりました。

その指導員の方がたまたま学生のときに施設や親元ではなく地域での自立生活をされている方とお知り合いで、その人の生活がどのように成り立っているのかを土日を利用してボランティアで当事者仲間のところに見学に行ったことをきっかけに自立生活を考えるに至りました。

生活をする前に親や兄弟の力を借りなければ外出ができないということに限界を感じ始め、家の目の前を走っている私鉄になんとか自分一人の力で乗ってみようと試行錯誤を始めました。

その頃は手動車椅子を使用していましたが、自分で漕ぐことはできない状況でしたので、一分で行ける距離を一時間かけて、町行く人に声をかけ「1m先の電信柱まで押してください。」みたいに細かくその人が行く所を見定めて他人のリレーで駅まで行き、駅に着いたら駅員さんに階段を上らせてもらい、改札口が車椅子で通れる幅がなかったので改札の上を8人がかりぐらいで、まるで御神輿のごとく担ぎ上げられて、東京に勉強に通う日々が始まりました。

そのうち、押してもらう人の中に宗教勧誘を目的とする人に頼んでしまい、家がばれて毎日それから家の表札の前で花束などを持ってきて、娘さんが必ず歩けるようになるようにと言われ、執拗に宗教勧誘をされて家族一同困った経験などもする中で、誰にでも信用して頼んで親切に対応してくださる人の中には様々な目的のある人もいるということを学んでいきました。

東京に自立生活の勉強をしに行く中で、漕げない手動車椅子で移動することに体力的、精神的な疲労を軽減する手段はないかと考えるようになり、東京の重度障がい者が皆当たり前のように使っている電動車椅子が欲しいと望むようになっていきました。

電動車椅子を取得することはできたのですが、とにかく重いという新たな問題が発生し、家から2駅先のその私鉄の中では1、2を争う大きな駅で新たな事件が発生しました。当時のその駅の駅長さん(その駅で一番偉い立場の人)と激論になったことがありました。

駅員さんだけでは階段の上げ下ろしと改札口を通すために改札の上を担ぎ上げる作業が人員的にできない状態だったので、同じ電車から降りた乗客に私が階段の前で大きな声を張り上げて「上の改札まで行きたいのでお手伝いお願いします。重いのでなるべく屈強な足腰に自信のある男性の方、ご協力ください。」と私が訴えかけると、持つところがないぐらいの人数が車椅子を取り囲み、あっという間に改札を抜けるところまで運ばれていくという毎日を過ごしていました。

ある日、駅長さんが階段の下にやってきて「このような乗り方で毎日電車に乗り込むのはやめてください。」と言うのです。協力している駅員もあなたが来ることで皆腰痛になってしまい、持ち上げる作業をこれ以上お手伝いすることは不可能です、駅員が手伝えないことを乗客にやってもらっていて何かあってからでは遅いので、私自身が階段を上ることができる介護者の人数を連れて電車に乗るか、それができないのであれば電車ではない手段で移動することを考えてください。と強く要請されてしまいました。

この後、これを機に私は電車に乗ることが健常者と同じように当たり前のこととして社会に受け止めてもらえるための活動をするようになっていきます。次回、そのあたりのことからお話ししていこうと思います。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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