歌は世につれ⑥ / 浅野史郎

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歌は聴くだけでない。歌うのも人生の楽しみのひとつである。私も、子ども時代は童謡を歌うというよりは口ずさんでいた。小学校、中学校のころは歌謡曲。ラジオから流れる歌い手をまねしながら勝手に歌っていた。だいたいは、誰もいないところで、一人で歌っていたものである。

その後、一人で歌うだけでなく、みんなで歌う、人前で歌うというふうに世の中が変わっていった。みんなで歌う楽しさを広めていったのが、歌声喫茶である。

当時大学生だった私も、新宿にあった「歌声喫茶ともしび」に何度か行ったことがある。リーダーの音頭のもと、アコーディオンの伴奏で店内の客が一緒に歌を歌う。歌われる歌はロシア民謡、唱歌、童謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲など。店が独自に編纂した歌集を見ながら歌うこともできる。これが楽しいのである。1960年代には大流行だったが、70年代には急速にすたれてしまった。

その原因の一つが、カラオケの普及である。最初はスナックなど接客のお店で、そしてカラオケ専門店へと発展し、今や全盛期である。一般家庭にもカラオケ機器が普及し、家族そろって歌合戦をやったり、一人住まいの若者が無観客で歌ったりしている。1億総歌手時代の到来、カラオケは日本の文化を変えた。

私もカラオケで歌うのは好きだった。人前で歌うことが楽しかった。「浅野さん、うまいうまい」とほめてもらうのもうれしかった。でも、カラオケでは誰でもほめられるということを知った。そして自分が相当のオンチであることにも気がついた。それ以来、私はカラオケでは歌わないことにした。

最近は、自宅のお風呂で歌うことが多い。お風呂でしか歌わない。歌うのはもっぱら昔の歌謡曲。誰も聴いていないのがいい。風呂では自分の歌が上手に聞こえる。それに加えて、私には歌詞を覚えているという特技がある。風呂場には歌詞が表示される画面はないのだから、カラオケで歌うのが得意な人でも、風呂場では私に負けるかもしれない。

「風呂場で一人歌う」で、思い出したことがある。
宮城県知事選挙の17日間の選挙期間中、1日だけ泊まりがけというのがあった。10人ほどの選挙スタッフとの夕食が済んだあと、私は一人で風呂に入った。選挙演説で声が嗄れてるから声のテストに歌でも歌おうとなり、歌ったのが舟木一夫の高校三年生。「♫あーかーい夕陽が校舎を染めーて♫」と歌い出したら、涙が出てしまい、その先が歌えなくなった。

一・八会(いっぱちかい)のことで胸が一杯になってしまったのである。一・八会とは仙台二高第18回卒業生の仲間の会のこと。今回の選挙は素人選挙であり、手伝ってくれたのは一・八会のメンバーだけだった。高校の同期というだけで、仕事も何も投げ打って私の選挙の応援をしてくれる。そのことを思ったら「高校三年生」が涙で歌えなくなるのは当然である。

歌は世につれ、世は歌につれ。歌を聴くと、その歌を聴いた頃のことが思い起こされる。その時の情景まで思い浮かぶ。歌は人生においてなくてはならないものである。この世に歌があってよかった。

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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