地域で生きる/21年目の地域生活奮闘記㊹~障がい者運動との出会い、電車乗車拒否 後編~ / 渡邉由美子

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障がい者が電車に乗ることは夢であった時代がありました。現実を少しでも明るい方向へ転換しようという試みとして、全国に「ひまわり号」という障がい者専用列車を走らせる運動が起こりました。そして、その旅を通じて知り合った仲間がそれをきっかけに日常的な活動をするようになりました。
しかし私は電車を健常者と同じように移動手段として利用したいと考えました。

外出の際の移動手段が他にないので電動車椅子で電車に乗れるように「駅にエレベーターをつけてください」と訴えて、駅を所管する自治体と私鉄本社、問題が起こった駅、それぞれに要望書を提出しながら以前と変わらず定期を使って毎日その駅を利用していました。そして、再三の注意を聞かないということで咎められ、毎回駅務室に行かされて同じことを説得され始末書も書くようになっていきました。

こうして実生活に即した、どうしても必要な運動から障がい者運動の世界へ引き込まれていきました。その運動は、1人の訴えにとどまらず、駅のバリアフリー化を求める交通アクセス改善運動として全国に発展しました。

駅員さんを決していじめたいわけではありませんでしたが、一か所の駅に、日にちも時間も予告した上で1人の市民として電車にいつでもどこでもどこへでも乗って行ける社会の実現というお題目のもと車椅子総勢30台が押しかけ、最後にJRや私鉄の本社に行って交渉し、一つひとつの駅に電動車椅子も乗れるエレベーターをつけることを求める運動へと発展していきました。

その後、高齢化社会にも対応した交通機関という問題とタイアップする形で、運輸省が一定の規模以上の乗降客が見込まれる駅には補助金をつける制度を創設したことをきっかけに、バリアフリー化は一見したところ目にみえて改善し現在に至っています。

それが実現するまでにも10年余り私たちは様々な制約を受ける状態で社会に疎まれながら100kgを優に超える電動車椅子で移動を続けたことになります。電車に乗るには、必ず何時何分の便に乗ると前日連絡が必要で「帰りは~時までに帰ってこないと人員が揃えられないので歩いて帰ってください。」と毎度言われていました。

私たちが外出するといえば遊びと決めつけられており、今日は何の映画を観てきたのか、とかこんな遅い時間まで飲んでいられて羨ましい、などとからかわれることもありました。それは、私たちの活動がまったく理解されず、お互いを知らないことからくる現象でした。

やっとのことで介護者もいれて8~10人の人出を確保して車椅子の外れないところにゴムホースを引っかけて縛り、それを肩から担いで階段を上ります。最後の段を車椅子が上がると駅員さんがその場に転げるように力尽きて倒れる姿を見るに忍びなく、現場の人に過酷な労働を強いることが目的ではない私たちは、忸怩たる想いをしながらとても申し訳なく思っていました。

そうした駅員さんとは、早く共に上を動かして改善しましょうと話したものでした。私たちにも私たちにしかできない社会的意義のある活動があり、それを地道に行うことでしか社会変革は起こらないことを一つひとつ説明することで、最後にはこの運動を認めてくださる駅の上層部の方も出てきました。同じ労働者という目線でもっと気兼ねなく電車を利用して頂ける社会を共に作っていきましょうと言ってくださった方もあります。

先ほど、バリアフリーは一見改善したと述べましたが、一見という意味はこういうことです。エレベーターは設置が大都市圏では進みました。しかし、用地の関係など理由はあるのでしょうが幅が小さかったり、入口を入って鋭角に曲がらないとエレベーター内に入れなかったり、電動車いす障がい者の場合かなりの運転テクニックを要求されます。まるで教習所のS字クランクの練習のようです。私のように手に麻痺があってまっすぐ走ろうと頭では思っていても現実は蛇行する障害を有する者にとっては至難の業です。

それからだいたいエレベーターの設置場所はホームの端と決まっているので、車いすスペースから遠い場合も多く、これまた細いホーム上を端から端まで人の足を踏まないようにまっすぐ通り抜けなくてはならないのです。こんなことに毎日神経をすり減らしながら移動しています。

昔の担ぎ上げられての階段昇降の時代を考えればとても良くなりましたが、真に使いやすい公共交通機関とはなりえていません。そんな意味ではこれからも誰もが使いやすい公共交通機関を求める行動は続けていかなければならないと思います。特に郊外の駅などは昔と変わらない現実と闘いながら日々辛い思いをしながら電車に乗らざるを得ない仲間がまだまだたくさんいます。

その現実に思いを馳せる時、自分さえ良ければではなく、どこに住んでいてもいつでも好きな所に外出できる権利を全ての人が享受できる日まで運動を続ける必要性を感じずにはいられないのです。

 

◆プロフィール
渡邉 由美子(わたなべ ゆみこ)
1968年出生

養護学校を卒業後、地域の作業所で働く。その後、2000年より東京に移住し一人暮らしを開始。重度の障害を持つ仲間の一人暮らし支援を勢力的に行う。

◎主な社会参加活動
・公的介護保障要求運動
・重度訪問介護を担う介護者の養成活動
・次世代を担う若者たちにボランティアを通じて障がい者の存在を知らしめる活動

 

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