土屋のミッションについて / 鈴木暢大(ホームケア土屋 九州)

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「もっと簡単に介護の援助を受けられる、そんな世の中になったらいいなと思います。」

介護していた妻(当時80歳)の承諾を得て、殺害したとして承諾殺人罪に問われた広島市の事件で被告(当時72歳)が裁判で語った言葉です。被告はがんの闘病生活を送りながら老老介護を続け、心身が疲弊した状態だったとのことですが、それでも介護支援専門員から施設への入所の提案がありながら、在宅介護を続けたとのことですが、その理由はなんだったのでしょうか。妻の面倒を最後まで在宅で見てやりたいとの思いからだったのでしょうか。

事件当日、被告が「今日死ぬか」と尋ねると、妻はすぐに「ええよ」と答えたそうです。
老老介護に至る介護難民の事例の1つで、とりあえずなんとか声は拾えていたみたいですが、期待には応えられなかったみたいです。

しかしそれは私たちの任務、つまり果たすべき使命であり、存在意義というのは冒頭で語られていた声を、自ずから探し求め解決していくことと思います。しかし今回の場合、声は探し求められていたみたいですが、解決に至らなかったことは非常に残念です。そう思うと土屋のミッションはかなり奥が深く、広大かと思われます。

「探し求める小さな声を ありったけの誇らしさと共に」

どうしても土屋のミッションは前半の部分がクローズアップされるのですが、後半の「ありったけの誇らしさと共に」が引っかかってきます。自分の中のありったけの誇らしさって何なんだろう?と自問します。そもそも誇れるものってあるんでしょうか。しかもありったけに。

今まで誇りをもって何か物事を進めてきた感覚がありません。いわゆる「武士は食わねど高楊枝」ってことだと理解しているのですが、私はどちらかと言うとaffirmative(肯定)して、そうしてちゃんと立つことが出来て、前進しようとするタイプかな?と思います。

でも私は単に手放しで人生を全て肯定するのではなく、あの手この手でもがいて、足をバタバタとさせて、私なりに必死に自らの人生を握りしめているような人間であり、そんな生き様があるのではないかと思います。

なので、誇らしいとはほど遠いような歩み方をしてきたと思うのですが、これはこれで私の誇りなのかな?と考えることもできるのではと、改めて自問自答しているうちに落ち着いてきました。

この禅問答のようなミッションを胸に、今日もあの手この手でもがいて、足をバタバタとさせて、私なりに必死に自らの人生を握りしめて、声を捜し求めていきます。

 

鈴木暢大(すずき のぶひろ)
ホームケア土屋 九州

 

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