読書について④ / 浅野史郎

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本には固い本と柔らかい本がある。こういうときの本は、表紙が固いハードカバーか、柔らかいソフトカバーかということをいっている。ソフトカバーの本は、元はハードカバーなのだが、たくさん売れ出してからは、それがソフトカバーになって新たに出版される。いわゆる文庫本である。

本には硬い本と軟らかい本がある。こういうときの本は、専門書など内容が硬い本か、小説やエッセイなど内容が軟らかい本のことをいっている。私の場合、専門書など硬い本は机の前に坐って、硬い顔をして読む。大体がハードカバーの本なので、手に取って読むことはない。机の上に置いたままにして読む。小説のたぐいは、出版したてのハードカバーは値段が高いので、早く読みたいという気にさせられる小説でない限りは、文庫本になるまで待って買いに行く。ケチな私は、文庫本で小説を読む。

文庫本で小説を読むのは、通勤時の電車の中であった。「あった」と過去形で書いたのは、現在は「通勤」というのがないから。小説一冊読むのに1週間以上かかることが多いのが、今の私である。それはともかく、通勤時に電車の中で小説を読むと、通勤時間が長く感じない。通勤時というのは、行きも帰りもあるから、結構な時間を小説読みに費やすことができる。一回の通勤だけで一冊本を読み終えることだって、(たまに)ある。

小説を読むのは通勤の電車内とは限らない。全国各地での講演のたびに、新幹線や飛行機で移動することが多かった。ほとんどは一人での移動であり、しかもその移動時間が長い。一泊での講演の際には、宿泊したホテルでの長い夜を小説読みで過ごす。1回の講演旅行で、数冊の小説が読める。列車の場合は、読んでいて目が疲れると、車窓に流れる景色に目をやってから再び読み始める。

電車で通勤していた頃の話である。仕事帰りに駅で降車すると、そこから自宅までの道すがらに本屋がある。東京の中野区上高田の公務員宿舎にいた時の最寄り駅は、JR東中野駅。駅から自宅までの1キロほどの途次に結構大きい本屋が2軒あった。帰りが遅くならない日には、必ず、どちらか又は両方の本屋に寄ったものである。行けば1、2冊の本は購入する。買った本はすぐに読んでしまう。こうして読書量は増える。

ここで本屋の話。仙台には一番町だけで金港堂、丸善、高山書店という大きな本屋があった。そうそう、北三番丁百番地には小さいながらもがんばっている田中書店があった。前にも書いたが、母方の祖父母がやっていた。私にとっては、本屋というよりは児童図書館であった。この田中書店も、他の小規模書店と同じく、早々と店じまいをしてしまった。

東京では、渋谷駅前の大盛堂。仙台から出てきたばかりの大学生(私のこと)にとっては、びっくりするほど大きな本屋だった。もっと大きな本屋があるのを知ったのが、東京駅近くの八重洲ブックセンター。そして丸の内のオアゾビル内にある丸善丸の内本店。これらは本屋さんという名では呼びにくい。大型書店、ブックセンターである。店内に入るとその大きさ、本の多さ、それがきれいに分類されて書架におさまっていることに圧倒される。

読書家でも、本好きでも、活字中毒でもない身の私だが、こういった書店に30分でも居ると、本のほうから語りかけてくるような気持ちになる。「私を買って、買って。読んで、読んで」とたくさんの本たちが私に向かって叫んでいる。図書館に行ってもこういうことは起きない。本屋というのは、不思議な空間である。

素敵な本屋がどのぐらいあるかは、その国の文化水準を表す。「読書について」とは離れてしまうが、そんなことも考えてしまう。

 

◆プロフィール
浅野 史郎(あさの しろう)
1948年仙台市出身 横浜市にて配偶者と二人暮らし

「明日の障害福祉のために」
大学卒業後厚生省入省、39歳で障害福祉課長に就任。1年9ヶ月の課長時代に多くの志ある実践者と出会い、「障害福祉はライフワーク」と思い定める。役人をやめて故郷宮城県の知事となり3期12年務める。知事退任後、慶応大学SFC、神奈川大学で教授業を15年。

2021年、土屋シンクタンクの特別研究員および土屋ケアカレッジの特別講師に就任。近著のタイトルは「明日の障害福祉のために〜優生思想を乗り越えて」。

 

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