再び「怒り」について考える、私は正しい!は本当か? / 藤岡真人(ホームケア土屋 中国 ブロックマネージャー)

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題目から思う事。
私が正しいで怒る人
その人が考える正しさが伝わらない、もしくは誤解をされる状況になる、又はそうせざるを得ない状況であったなど。
その人が思っている事が正しいと主張するが、周りのその事象を聞いた人やはたから見ている人へは、その人の主張の真意がわからない事がある。
思いは人それぞれ。主張する側、主張を受け取る側、自由があってしかるべきで、そこをこうあるべきと強制する(バイアスをかける)事はあってはならないように思う。

怒りはマイナスなイメージがあり、ネガティブな表現で言われる事が多く見られるが、奇妙なバイアスで同調圧力をかけられた場合など怒りで表現する事も認めて良いのではないか。
事実を奇妙なバイアスで改変される、しかも改変をかける多くは事実を確認なく軽口でその事象を面白がる人たち。そういった人たちに限り、事実が湾曲され正しさよりもそういった人たちの主観で話しが出来上がってしまう。
または、弱者を装って自分に都合の良い結果を引き出そうとするマニュピレーター。
自分の主張が正しいではなく、正しく誤解なく伝わっているのか?これが重要。私が正しい、正しくないは2の次であり、怒りを表現する人の真意を理解しようとする事が必要だと感じる。
怒りを表現する人も、正しく誤解なく伝わるように冷静に事実や主張を伝える必要がある。
また、怒りをため込んでいる人の怒りの理由・怒るべき事柄の事実確認は必須で、そういった場を設ける必要もありそうです。

怒る人=自分は正しい。
怒る人で自分は正しいのに怒る、そういった理由で怒る人はこれまで少なかったように思います。多くは、自分の主張が正しく伝わらない。伝わらないことから誤解を受けたままとなる。誤解を解くための場も無ければ、誤解から冤罪のような形をとられることもある。
そういった悲しい事が起きないような、奇妙なバイアスの無い、事実確認ができるようになれると良いですね。

 

藤岡 真人(ふじおか まさと)
ホームケア土屋 中国

 

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