再び怒りについて考える 私は正しいは本当か。/ 長尾公子(取締役 社長室室長)

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3歳と1歳の子供達は、今日もせっせと危ない遊びに励んでいます。

縁側から巨大な石を落としてみたり、ガラス扉にタックルしたり、自分の背丈よりも随分と高い場所からジャンプしてみたり・・・

目を離せば、いつもどこかにたんこぶ、流血ありという日常です。

未然に危険を回避しようとし、手や口を出すと、子供達は全身を使って烈火の如く怒りを表してきます。
より一層、その遊びをやり遂げようとする意思は固くなるようです 笑

結果として、不味いことが起こってしまった場合、一番近くに居たパートナーに物申すことがあります。

私「ちゃんと見ててよ!怒」
パートナー「ちゃんとってなんですか?怒」

このようにして、各々が怒りを抱きながら、特に話し合いも持たれず、暗黒の空気がただ過ぎ去るのを待つしかない場面があります。

「私は正しいは本当か」は家族というコミュニティでは、正しくもあり本当でもあると思えるのです。
甘えも欲しい場所でもあるし、距離の近さから、はい、今、笑ってますね?と同じくらいの感覚で、はい、今、怒ってますね?と、その事実をまるっと受け入れて生きなければならないそんな覚悟があるような気がします。

当たり散らしたその怒りの後に、誰からともなくアイスクリームでも食べようという提案がなされ、私はチョコレート、僕は苺アイス、バニラなどと、ちょこっと一口交換なんかをし合い、さっきのあれはごめんね、こうすれば良いね、なんていうお喋りが交わされ、最終的に平穏な日よりも、怒りをぶつけ合った日の方が、なんだか良い日だった、終いにはありがとうなどと、結束が固くなったりもするものです 笑

ただし、この謎の法則は、家族以外のコミュニティでは、いつもいつも通用するものではないことは、皆様実感があることかと思います。
例えば、会社はどうでしょうか?

株式会社土屋は、バリューに、
「 怒りの爆発は何も生まない、不正には憤ろう、強く、深く、しかし冷静に」と掲げています。

会社の価値として謳っている部分なので、それに準じようと多くの人は取り組むわけですが、そう上手くはいかないところが人間です。
実際に怒り心頭に達したという人物が現れたときに、簡単に切り捨てる、つまり、「そういう人達とはコミュニケーション取らなくてよい」という根拠としてこのバリューは設定されているわけではありません。

「対話こそ生命線、責めなじることは禁物です」という項目も並列に設定されているバリューです。
怒りを抱えた人の背景に何があるのか、その理由は何かを知ろうとすることは最大の価値だと思っています。
怒るということはそれだけ「怒らない人」と比べて考える視点があったということですし、また、怒りをぶつけられる相手は、それまで「怒らないでいい」と思っていたわけですから、新たな視点の提示であるということです。

もちろんアンガーマネジメント等も必要ではありますが、怒らなければいけない場面は必ずあります。なにより私たちが取り組んでいる障害のある方たちの暮らしを支える仕事自体、当事者の皆さんの切実な怒りの訴えがあり、それが制度、仕組みという形になったからこそ従事する私たちは日々の暮らしがあるのです。

憤っているすべての人に対して、「家族のように」とはいかないけれど、「他人だから」、「私には関係ないから」と切り捨ててしまうという残酷さは、もう捨てていいと思っています。
その残酷さの後ろには「私が助かればいい」「私がうまくいけばいい」「私が非難されなければいい」という、利己主義の芽があります。芽があれば、根があります。
他の人に関心を持つことから株式会社土屋のソーシャルビジネスは広がっていくと強く感じています。むしろそれがなければ、この株式会社土屋は存在意義をなくします。

そう思うと、怒りは物事を掘り下げるきっかけにもなりますし、自分自身の精神を鍛える絶好のチャンスともいえるかと思います。

怒りの成分をスルーして、主張を正確に受け取る姿勢を持ちたい、そう思うこの頃です。
怒りも人類が誕生以来ずっと持っている「機能」ですから、怒りを怖がらず受け止められるような懐の深い社会になれた時、「そういえばそんな問題もあったね」なんて消えていく社会問題も、いくつもあるように思います。

 

◆プロフィール
長尾 公子(ながお きみこ)
1983年、新潟県生まれ

法政大学経営学部卒。

美術品のオークション会社勤務後、福祉業界へ。通所介護施設の所長や埼玉の訪問介護エリアマネージャーを経験し、2017年、出産を機にバックオフィス部門へ。現在は3歳と0歳の子育て中。

 

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