再び「怒り」について ~自分は正しいのか~ / 古本聡(CCO 最高文化責任者)

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「あなたは我国で育ったせいか、日本人にしては沸点が低いですね。いつも平静な気持ちで仕事も生活もできることを夢見て、やっとこさの想いであの国を抜け出してきた私としては・・・。」

これは私が30代中半頃に、当時一緒に翻訳・通訳の仕事をしていたロシア人青年にある日突然言われた言葉です。正に図星を突かれた感がありました。

確かに私は旧ソ連という、根拠の有る無しに関わらず他者に対する自分の優位性、権利と正当性を思いっきり、そして常に主張し続けていないと色んな意味で生き残れない社会で育ったせいか、今思い起こせばかなり我が強く怒りっぽい性格でした。口も結構悪かったですね。まぁ、その点は今も治りきっていませんが(笑)。

あの頃、商売も10年目を超え、国際関係での勢力図がガラッと様変わりするという時代の後押しもあって思いの外順調に伸びていましたし、狭い業界ながらも名も売れていました。それに加え、白状しますと、当時、崩れ行く祖国を見捨てて日本に逃げてくるロシア人たちを、私はどこか蔑視していました。理由の中には、彼ら/彼女らの多くが「ソビエト体制の中で散々甘い汁を吸ってきた特権階級(テクノクラート)のお坊ちゃん・お嬢ちゃんたち」だったこともありますし、そういう育ち方をした人たちが資本主義的なものの考え方や働き方ができなかったということもありましたが・・・

平たく言ってしまえばあの頃の私は、実にイやな奴だったでしょう。傲慢で調子に乗ってて、キレやすくて。思い出すと、羞恥心と後悔とで胃袋がキュッと縮みます。

ついでにもう一つ告白すると、そんな私は、考え始めると夜眠れなくなることがよくありました。その原因は言いしれようのない不安感と孤独感でした。状況によって離合集散が激しい業界でしたので、いつ悪意の噂を立てられるか、いつ裏切られるか、誰を信頼すればいいのか、心底孤独でした。それに、自分の機動力 (営業力) の無さから顧客から愛想を尽かされるのでは、とハラハラしていました。不安感と孤独感は怒りの感情を誘発しやすいそうですね。

また、すぐに強い怒りが湧いてくることが、気がつかない内に習慣化、いや癖というか、今でしたら依存症とか呼ばれるものになってしまっていたことに強い自己嫌悪を感じていたことも事実です。

実際に、怒りを爆発させることへの依存症はあるようです。知識不足で詳しくは書けませんが、強い口調で発する言葉や怒りをぶつけることで、或いは立場の違いを利用して(上下関係や、相手が思ってもみない価値観を振り回して)相手を服従させたり、委縮させたりすることは、アドラー心理学では、人間にとって快楽になると言われています。脳内にドーパミンという、量と頻度によっては中毒性の高い快楽物質が分泌されるそうです。特に、怒りが正しいこと、つまりは正義に基づいていて、周囲からもその怒りが正当だと捉えられる場合には、承認欲求の満足からくる快感も相まって快楽が大きく深くなって、ついには習慣化してしまう(依存症になってしまう)とのこと。

ところで、この正しいこと、つまりは人が心に決めている「善」というものは、例えば人を殴ったり殺したりしてはいけない、人のものを盗んではいけない、などのように判断し易いものもあります。しかしその一方で、分かりにくいもの、捉え方が人によっては異なるものもあります。SNS上で頻繁に起こる、賛否両論がぶつかり合う炎上がそのいい例でしょう。

その際、こういった場合の「善」は、あくまで「自分にとって「善(good)」であって、「正義(justice)」とは全く違うものなのです。「正義」というのは、人によって様々に異なり得る「善」を制限するルールなのです。ところがこの2つの概念、非常に混同されやすいもの。だからこそ、その個々に違っている善が蔑ろにされた時、人は正義が侵されたと感じてしまい、怒りを表出し易くなるのではないでしょうか。少なくとも私の場合はそうでした。

怒りの感情は、別名、防衛感情と呼ばれるそうです。つまり、自分なりの善は、それを侵されそうになった人にとっては、相手に攻撃的になってまでも絶対に守るべきものだということです。とすると、自分の中の善への信奉が強ければ強い人ほど、身の回りのいろんなことに敏感で、過剰に反応しやすく、自分にとって「正しくないこと」に出くわすと、「なんで正しいことができないんだ!」と結果的に怒りやすくなります。そして、他者を傷つけてしまうことにもなりかねません。

私はキレ易かったあの頃、悩み藻掻いた末に辿り着いた自己コントロール法は、ロシア在住時に知った批判的思考というものでした。この批判的思考の特徴は、私の手元にある旧ソ連時代の教育学の本では、「問題を明確にしてから考える」「事実と価値との区別をする」「根拠のある主張と,そうではない主張を区別する」「少数の事例が過度に一般化されていないかに気をつける」「ある主張にバイアスがかかっていないか気をつける」「感情的な推論を避ける」「他の解釈はないか考える」「論理的に考える」の8項目にまとめられます。

ロシア人に対する怒りを抑えようとして、やっと辿り着いたのが、ロシアの高校で叩き込まれた思考法だったとは、いやはや皮肉だなと、自分でも思います。でも、この思考法のおかげで大分まともになれたように感じるのも事実です。いちいち、「自分は正しいんだろうか…」などと、うじうじと思い悩む必要は少なくともなくなりましたね。

土屋のバリューに「寛容であれ、肯定的であれ、かつ、批判的であれ」を加えたのは私ですが、上のような「生」のいきさつがあっての文言なのです。「批判的であれ」とは、上述の「批判的ぢ項」のすすめです。これを読んでいただいた皆さんも、もう一度あのバリューについて考えてみて下されば嬉しく思います。

 

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

 

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