透明になった差別に気付く / 星敬太郎(ホームケア土屋 関東 東海 ブロックマネージャー)

  • sns

パラリンピック東京大会閉会式のコンセプトです。調和する不協和音。私の第一印象は、違和感でした。

パラリンピックは、身体障害者を対象とした世界最高峰の障害者スポーツの総合競技大会です。多様性をよく耳にする昨今、障害を個性と捉え、障害者も健常者も調和して暮らしていくとも私は解釈しました。もちろんそれは素晴らしいことです。しかし、多様性を表現するときにその対象をパラリンピックの選手としているところに、一般の方と障害の方を区別しているように感じてしまい、私には違和感があります。

世の中の人は全員違います。その違いを障害者と健常者の間に線引きされているように思えてしまいます。違いといえば、オリンピック選手も、性別、年齢、国籍等が違い、また、肌の色、話す言葉、人並み外れた努力をできる人や高い身体能力を生まれ持っている人等々、まさに多様性。多様性が叫ばれる時代に、共に、と表現するのであれば、個性あふれる選手が集まるオリンピックのコンセプトでも良いのではないのでしょうか。

私は、もともと人を区別することが好きではありません。私自身の感覚のためお伝えすることが難しいのですが、人が障害の診断をされたときに障害名が付き障害者になったとします。一つの障害名を前に障害者と健常者に二極化する訳ではありません。一見、健常者と思われる方の中にも、障害者と健常者の間の方々はたくさんいらっしゃるはずです。障害のご状態も変化することもあると考えれば、尚区別することは難しいと思います。

不協和音というワードがパラリンピックのコンセプトとされたことが、肌の色よりも話す言葉の違い等よりも、障害者と健常者の違いがさらに大きいことを表現されているように感じてしまいます。

一昔前、障害がある方々は世間から隠されてしまう時代がありました。
昨今、障害がある方々も障害がない方々同様に生活し、共に生きる社会を目指していることは実感できます。
ただ、まだまだ障害の有無で区別されることが根強く残っているのではないかと、ハーモニアスカコフォニーから私は感じてしまいました。

全て個性。全ての違いをお互い認め合い、人と関わっていきたいと改めて思う良いきっかけとなりました。

 

星 敬太郎(ほし けいたろう)
ホームケア土屋 東海

 

  • sns