オンラインの功罪 / 佐々木優(ホームケア土屋 四国 ブロックマネージャー/法務部門 シニアディレクター)

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第5波が全国的に収束に向かい、かつての日常とまではいかないまでも、観光地や歓楽街はつかの間の賑わいで溢れている。
コロナ禍を生きる我々が辿りついた【ニューノーマル】といわれる生活様式は、ビフォーコロナ=コロナ禍前の暮らしとの惜別を意味付けている。

コロナ禍は、人々の仕事の進め方にも影響を与えた。
私がニューノーマルな働き方と聞いてまず思い付くのは、ZOOM等を代表とするオンラインミーティングだ。

数年前までは、2時間程のミーティングに参加するために、四国から関西まで鉄道で4時間もかけて出向いていたが、オンラインでは数秒でアクセスできる。
しかも、自分にとって居心地のいい落ち着いた環境で臨めるし、コストは月額2000円程度と極めて安価である。

オンラインミーティングは、長年、我々が情報共有や意思決定のために費やしてきた諸々のコスト(時間と労力と費用)を一気に圧縮し、マネジメントの効率化と最適化をもたらした。
皮肉にも、コロナ禍がビジネス環境の進化を後押しした形だ。

現在では1日に5つ以上ものミーティングがセットされていることが珍しくなく、私は【どこでもドア】を開けるように様々な会議室を行き来している。

こうしてみると、ミーティングのオンライン化は良いことづくめのように感じるだろう。
しかし、得るものがあれば同時に失うものもあるのが世の常だ。

オンライン化によって失ってしまったものとは何か。

私がいちばん感じていることは、ミーティングにおけるコミュニケーションから【雑談】が消えたことだ。
ミーティングの参加者は定刻になると一斉に入室し、ファシリテーターは全員が揃うのを確認するのと同時に本題を切り出してミーティングを開始する。
会話は業務に関わることに終始し、やがて終了時間を迎えると参加者は瞬く間に解散する。

一切の雑談が失われた場合、相手が今どんな状態なのかを互いに知り得ないまま関わることになり、その後のやりとりがぎこちなかったり事務的(無機質)なものになったりしやすい。

例えば、スーパーやコンビニのレジを想像してみてほしい。
店員は淡々と商品をレジに通し、こちらは黙って支払いを済ませる。
「袋はいりますか、箸はいりますか」「いいえ」
言葉を交わしたとしても、せいぜいこのくらいだろう。
レジで清算する作業でお互いを分かり合う必要はないのかもしれないが、なんだか味気ない。

本来、組織で行われるミーティングのように、互いが交わりながら一定の時間をかけて何かを決定したり共有したりする場では、相互理解の姿勢が必要不可欠である。
相手への理解や適切な愛着は、その場を闊達な意見交換がしやすい雰囲気に醸成させ、ミーティングの質を向上させる効果があると考えている。
【雑談】は、いわばそのための準備運動であり空調機能なのだろう。

しかし、ミーティングのオンライン化は、互いに感じる【人間味】や【親近感】を希薄にし、大袈裟にいえば参加者同士に相手を【画面の中の人】という錯覚を起こさせてしまったように思う。
【オフライン】では確認できる、相手の目線のうつろいやしぐさ、息遣いや会話の間(ま)がそこにはないからだ。

また、オンラインという環境は、ポジティブな感情よりもネガティブな感情を相手に対して抱きやすくさせるのではないかと私は感じている。

例えば、報道番組を想像していただければ分かりやすいだろうか。
テレビ画面の向こうからこちらに笑顔で懸命に話しかけている政治家がいたとしよう。
(カメラの前では良いことを言っているけれど、この人は本当にこの国のことを考えてくれているのだろうか・・)
というように、得られる【その人らしさ(人間味)】の乏しさから、どうしても私は批判的で懐疑的な眼差しで相手を捉えがちになってしまう。

かたや、もしその政治家が我が家の隣に住んでいて、毎朝会うたびに「おはようございます!寒くなりましたね、お出かけですか、お気を付けて。」などと、笑顔で声をかけてもらっていたらどうだろうか。
(お隣の○○さんは清々しい人だなあ。)
というような好印象を私はきっと抱くことだろう。

この逆も有り得るので、あくまで私の主観の域を超えないが、やりとりをする情報の多寡が【オンライン】の冷たさと【オフライン】の暖かさを生じさせ、同じ対象へ抱く印象を違ったものにする可能性があるように思う。

―――私からの提案―――
もし時間が許すのであれば、オンラインミーティングの最初の5分と最後の3分は【雑談】に使ってみてはどうだろうか。
そうすれば、こうして貴方と私が離れていても、お互いの【暖かさ】を今よりは感じ合えるかもしれない。

 

佐々木優(ささきまさる)
ホームケア土屋 四国

 

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