「居てくれた人」 / 牧之瀬雄亮

よくテレビで東大出身者を「すごいね」と言う目で見たり、逆に「変わり者だ」と笑いの対象にしたりしているのを見ます。平均から突出した人というのは良くも悪くも目立ちます。

そこに加えて優れた方に突出した、もしくは基準(まことに勝手な話ですが)より特に劣った人は目立つものです。

小学校の時、掛け算九九が出来ない同級生が立たされていました。今考えれば、教師はその生徒が、なぜ掛け算九九がわからなかったのかが分からなかったから、つまり指導力不足、教える力の不足、勉強不足だったとわかります。

ちなみにその同級生は私の郷里で今、スーパーのレジを打っていました。優しい接客で、私の母方の祖母(嫌味。私も受け継いだ性格)でさえ、「あの人がやってるレジに並ぶ」と言わしめる程の立派な店員になっています。

風貌が変わった私と会った時も、屈託のない笑顔で接客してくれたのがとても印象的でした。

掛け算九九が出来なかったその人を罰として立たせていた教師は、教師になるぐらいですから多分大卒です。算数が専門と聞いていましたから、九九なんかお手の物だったと思います。だからこそ、分からない、できない人の気持ちがあんまり分からないんでしょう。

立たせたのは三年生でしたから、二年生の領域である九九を理解していないのは何事かと
いう気持ちだったのかと思います。

確か卒業してすぐの赴任でしたから、大学で大体似たような学力の人間とばかり会います。それが“普通”になっていますから、それを大きく下回る学力の人間とどう話せばいいかわからなかったのだと思います。

確か母の話では、その教師の親も教員だということでしたから、当たり前にできることとして九九は数えられていたのだと思うし、暗記するという覚え方しかないと教師自身が考えていたとすれば、「暗記していない=努力不足」であり、「努力不足=怒られて仕方ない」という価値観の中で、その教師が育ったということかもしれません。

まあ、ただストレス解消の八つ当たりならば論外だし、わたしの頭の中でケツバットの刑ですが、今やその心情は知る由もないことです。

私は保育園児だった頃、曇天を見上げて「18歳になるまではこんな“指導”という名目で大人にとやかく言われながら過ごさなきゃいけないんだ。全く長い」という趣旨の鬱屈を抱いたことを覚えています。

お遊戯会がかなり苦手で、下着の透けたタイツを履いて(あんなの猥褻物陳列強制教唆じゃねえか)人前に出て、くまちゃんの踊りとかするのが本当に嫌だったし、母親に後で評価されるのが心底嫌だったので、まあ、そんなことを考えたのだと思います。

鍵盤ハーモニカの合奏も譜面を全く覚えられず、吹かずに適当に指を動かして、最後の「ミ」の音だけ「ブー(正確には“ミー”)」と吹いて大人たちの追求を避けるということもやるぐらい嫌いでした。

今思えば20ぐらいそこそこの遊びたい盛りの若い人に、子供の接し方なんて期待するほうが間違っているのです。

私には幸運にも、猫と父方の祖母という先生がありましたので、そういう若い、時代の動きですぐ考えを変えて反省もしないような人達の言葉というのは殆ど耳に届かないし響きもしなかったわけです。

冒頭の立たされた同級生を見て、私はどうしていたか。黙って見ていたんです。

正直立たされなくてよかったと思っていたんだと思います。九九を覚えておくという、ムラのルールを守り避難を逃れられたことに安堵していたと思います。
私の代わりに同級生は、吊し上げられていたのです。

同級生が屈託なく「牧之瀬くん、久しぶり」と本当に柔らかい表情で話しかけてくれた時、私は非常に申し訳ない気持で、「ばあちゃん、君がいるところに並びたいって言うんだ。いつもありがとう」というのが精一杯でした。

立たされている時の顔と、スーパーで生き生きと働く時の顔、その二つともありありと覚えています。

Aさん、元気ですか。私はあなたの表情に勇気をもらった多くの中の一人であり、あなたに救われた一人でもあります。あなたがいて下さったことで、私は少し、周りの人に優しくなれたと思います。本当にありがとうございます。どうぞ、これからもお達者で。

 

◆プロフィール
牧之瀬雄亮(まきのせゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。