『記憶 ~出会い~』 / 富田祥子

私が旅をしていたのは、もうずいぶん前の話。長い旅を何回かしたけれど、一番長かったのがユーラシア大陸横断の旅で、船で中国にわたり、そこから西へ西へと向かった。

まだスマホの影も形もなかった時代で、すべてが手探りだった。今考えると、どうやってあんな旅ができたんだろうと、我ながらびっくりするけれど、今でも行ってみたらなんとかなるんだろう。

もともと私は考えなしで、とにかく飛び込んでみるという性質は性質だけれど、旅をして、やっぱり大概のことは「なんとかはなる」というのが身にしみて分かったことでもある。それは、旅の途次で出会ったさまざまな人が私に教えてくれたことだ。

私は一人で旅をする。「寂しくはないの?」とよく聞かれる。寂しくはない。一人で旅をしていると、土地の人がたくさん寄ってきて、一人になるのが難しいくらいだったから。そして彼らに助けられて、私は旅ができたのだ。

私が旅をする国は、英語が通じないところも多い。それでも、私がどこそこに行きたいんだけど、と地図を見せたり、写真を見せたりすると、みんな一生懸命になって口々に案内してくれる。もちろん現地の言葉だから分からないけれども、どうにか分かるまで教えてくれたり、案内してくれたりもする。

土地の人しか知らない、素敵な場所を教えてくれるのも、もちろん彼らだ。例えば、莫高窟で有名な、中国北西部にある敦煌に行ったときのこと。そこには美しく、人のいない砂漠があるという。

車をチャーターして、夕方、砂漠に向かった。少し遅い時間だが、というのも、その砂漠では満天の星空と、天の川が見えるというのだ。

夕方といっても、日はまだ落ちてはいない。雨でできた川を渡り、砂に足をとられながら、砂丘の上へと登る。聞いていた通り、誰もいない。ただ、見渡すかぎり、砂の大地が広がっている。

2000年前の時代に戻ったようだった。風が吹き、砂が舞うたびに、今ここに、馬遼やチンギス・ハンが現れそうな錯覚に陥る。まだ暑い砂の中に足を入れ、夜が来るのを待った。

砂煙が舞い上がり、空に広がる雲が、太陽の光を浴びて金色に輝く。徐々に日は落ち、あたりが暗くなるにつれ、雲は影をひそめ、空が星で埋め尽くされていった。

天の川が見える。砂丘に寝転びながら、私は飽きることなく夜空を眺めていた。

あの頃の私は、あの星空を見て何を考えていたんだろう。思い出せはしないけれど、かけがえのない時間を味わっていたに違いない。

そうした時間の積み重ねが私の旅になり、その旅を作ってくれたのが、旅先で出会った様々な人たちだ。

それは人生にも言えることでもあると思う。出会いが、人生を形作ってゆく。人との出会い、本との出会い、音楽との出会い…

そうして、そこから私たちの旅が始まってゆくんだろう。

 

富田祥子(とみたしょうこ)
ホームケア土屋 大阪