私と母〜教育虐待に思う① / 牧之瀬雄亮

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私たちは自然の中で生きている。

いきなり当たり前のことを言っているようだが、それがこの頃そうでないように感じることも多い。

私のみならず言葉を喋るなり書くなりすることをする人間は多い。ほとんどの人たちがそうしているのだと思う。

私はこうやって文章を書いていると、たまに読者の方にお会いして、お褒め頂くことがある。これは誰も暇でない現代にあって時間、即ち大事な人生の一部を割いてくださったということに「良いものを書きたいな」と気持ちを新たにする、人生の栄養剤を頂くようなありがたさである。

一方記憶をまさぐれば、小学校の頃、作文で表彰状を貰ったこともある。
近眼児としてキャリアの長い私は小学校の一年からメガネをかけていたメガネエリートだったが、そのうち度が合わなくなってきて新しいメガネを作ったという内容であった。

大体において教師の話は聞いていなかった私は覚えていないが、授業で書いたものを手直ししてコンクールか何かに出そうとか誰かその辺の大人が画策したのだろう。

その一人であった馬鹿に教育熱心な母親が書けとせっつき、日曜返上でADHD色の強い私の脳を押さえつけて書いたので、私にとってはもちろん全くの苦行で、横から「こう書けああ書けその字を書き直せ」とガミガミ言われながら書いたという記憶しかなく、そうなると私の文章ではなく母の文章であり、作文全体のモチーフは覚えているものの、どんなことを書いたか一切覚えていない。

記憶の中にあるのは昔の作文用紙の滑らかさと、薄茶色の枠線に鉛筆で自分が文字と認識できないものを並べさせられているという記憶しかない。
そういうことをさせられた日曜の昼下がりは全く嫌な記憶として残る。

これを教育というのか、慣化というのか、結果として現在私はこうして文章を書いている。

私は母をやっつけたかった。

無作法に相手の感情を規定してくる態度、父の家に対する軽蔑、自分を無知と認めないで思考を開かないことから起こるいざこざ。

情けなくも私は、現在に至っても尚、対面もしくは電話などでも、母に反論しようとすると体が固まってしまう。

母のような女性も苦手で、自分の価値観だけ認めろと捲し立てられると頭に血が上り、思考が止まる。私の口から暴言が出るか、もっと悪くすると、結果相手に「納得した」と取られてもしょうがないレベルの怯えと沈黙で応じるしかない。

私は他人から見てわかるのだそうだが、一般的な「社会人」に見えないそうだ。
私自身、母に「認められたくない」から、まさに「社会人」然とした振る舞いを意識的無意識的によらず避けているのかも知れない。
それによって自分が被る不利益は、喜んで引き受けている。

そうした時、私の思考は全くの自然ではない。「反・母」というスタンスを固めている以上、思考に行動に制限がかかることは確実である。

これを解く方法はあるか。本当に母のイメージを自分から剥がすことはできるか。

原因を探ってみよう。
彼女はなぜ私に金切り声を上げながら学業をさせたがったのか。実はこの理由は大体分かる。

終戦からひと時代あとに生まれる。

一億総中流という声にはやし立てられつつも、実際村議会議員の祖父(私の曾祖父に当たる)を持つ地元の名家だった(母はそう言う)ようだが、戦時下農地を供出し、曾祖父もやんちゃだったことも起因してか没落。

それまではお客として構えておれた生魚売り(次元では「ぶえんうり」という)が来ると、買えないのが恥ずかしいから隠れていたのだそうだ。
そういう自称元名家の出だ。

祖父は元衛生兵で、結構頭が良かったらしい。また母の姉が英語が少し出来たせいで、母は比べられて苦しかったのだと言う。

そして家業は芋農家であり、マスメディアが田舎者や百姓を馬鹿にする時期でもあったので、学校でも恥ずかしかったようである。どいつも似たようなものだったと思うが。

母は高卒で就職し、姉兄は県外へ出て行った。「縛られた」と思ったろう。「お前は家のことをしろ」と母の母、(私から見て母方の祖母)は言ったのだという。折々に私にも母が聞かせたことだ。

私が同じ立場なら家出でもして郷里を後にしたろうと思う。時代も時代。マスメディアしかない。

末っ子としての呪いか、親を見なくてはいけないという考えが離れず、何故か知らないが父(集団就職で神戸へ、その後帰郷)と結婚して尚更地元を離れることができなくなった。

「勉強さえできれば」と思った彼女自身の自分と郷里を愛憎相半ばし、母本人では言語化、分析しきれない想念が私や姉に注がれたのだと、大方そういうところであろうと思う。それが私に勉強をさせたい、分からないところがあれば怒鳴りたいという行動に駆り立てたのだろう。

私は平仮名の幾つかを鏡文字で書き、小学校一年の担任に相談されている。そして家で平仮名の「え」を書く際、左下の折り返しが右より長かったため、来客中にもかかわらず怒鳴られていた。そんなことして宿題やるようになると思いますか?

> 私と母〜教育虐待に思う②〜に続く

 

◆プロフィール
牧之瀬雄亮(まきのせゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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