土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて⑩ / 高浜敏之

10 私が出会った障害者運動の先駆者たち①
「木村英子さん その2」

面接時間になったので、

「19時から面接の高浜です。よろしくお願いします。」

そういって事務所に入っていった。

「お待ちしておりました。」

電話をしたときに応答してくれた女性の声だった。

中には10名くらいの方々がいたが、特に挨拶もなかった。障害者も、それから健常者も、概して無愛想、もっというなら不躾、とすら感じられた。自分がいままで面接を受けさせていただくときの反応とはまるで異なるものだった。

「やばいところに来てしまった。これは予想を超えるものだ。」

とその時、正直そう思った。

「そこの椅子に座ってください。」

そう言われ、言われた通りにした。

そうすると、車いすに乗った方々が四方八方から私を囲み始めた。「マジかよ!」そう胸の内でつぶやきながら、緊張を隠そうと努めた。斜め前に車いすの、私より10歳くらい年上の、今まで見たことも感じたこともないような、畏怖の念すら感じてしまうオーラをまとった女性がいた。その隣には同じ年くらいの、スラっとした、いまでいうイケメンの男性が立っていた。

「代表の木村です。」

女性がことばを発し、

「隣に立っているのは夫で、向こうでウロウロしているのが息子です。」

と続けた。

何を言っているのかさっぱりわからず、頭が混乱した。「この目の前にいる女性とそばに立っている男性が夫婦で、その二人の子供があそこにいる中学生の男の子?そんなわけないでしょ。」私の常識、障害者観、夫婦の在り方、などに対する固定観念に激震がやってきた。

これが、現在参議院議員を務めてらっしゃる木村英子さんとの最初の出会いである。

そのあと、なぜ介護の仕事をやろうと思ったのか、障害者との交流の機会はいままであったのか、大学ではどんな勉強をしてきたのか、などなど木村さんをはじめ周りにいる障害当事者の方々に次々と質問された。どんな回答をしたのか覚えてないが、私の答えは質問者を満足させるものではなかったようだ。

それから何回か言葉のキャッチボールをしたあと、一応は採用していただいた。ひとまず安堵した。

なにはともあれ一刻も早くこの集団面接の場所から立ち去りたかった。数日後に、ヘルパー2級の資格取得を待つこともなく、在宅生活される自立障害者の方の支援のお仕事をスタートした。引っ越しの日雇いバイトを卒業することができた。

そして、毎日当事者の方々が暮らす家に訪問する日々が始まった。

当時は1回入ると24時間そのままぶっ通しでやることが多かった。肉体的に負荷の高い仕事ではないので、特に苦にはならなかった。半分はボランティアみたいな感じだった。いいこともそうでもないこともあったが、非常にやりがいを感じた。いい仕事と出会えた、そう思った。

自分がやっている仕事の意味や価値を疑う余地がまるでないのがよかった。時折当事者の方とのコミュニケーションに戸惑うこともあったが、適当にその場しのぎをしながら寄り添いの日々を送った。

ある日、木村さんに呼ばれた。お仕事を始めてから1か月くらいたってからだろうか。「何だろうなあ?」そう思った。「まさか首切られるわけではないよね?」そう思いながら、仕事を終え、木村さんが待つ事務所に向かった。

「この仕事どうですか?」

木村さんは開口一番そう聞いてきた。

正直な感想をお伝えした。非常にやりがいを感じる。この仕事と出会えてよかった。時折コミュニケーションする中で理不尽に感じることがなくもないが、その時は適当に受け流している。当事者の意思に忠実であることがなによりも大切と研修でも習ったので、云々と。

すると、あるポイントで、木村さんの表情が変わった。「適当に流す」という表現が気になったらしい。その部分について「なぜ?」と問われた。

「仕事だから」と当たり障りのない回答をしたつもりだが、それがますます逆鱗に触れたようだ。半ばキレた感じで詰問されたので、恥ずかしながら私も逆ギレして反論した。議論が過熱した。

「なぜ向き合わないのか?理不尽だと思ったらなぜ理不尽なことを言うなと反論しないのか?私たちのことを人として認めているのか?受け流すなんて失礼と思わないのか?なぜ仕事という枠の中から出てこないのか?そんなんじゃ出会えないじゃないか?私たちはロボットみたいに言われたことをただやるような人たちとは共に生きたいと思わない!」

そんな感じのことを言われたような覚えがある。

要は職場の上司に怒られたわけだが、不思議な充実感があった。

「施設にいたとき、一生この白い天井をみて過ごすんだなと思ってたけど、先輩や仲間やボランティアのおかげで地域で生活できるようになった。正直いまでもつらいなあと思うことはしょっちゅうある。

そんな私たちが生きていこうと思えるのは、全身で向き合ってくれる介助者の人たちと出会い、表面的な付き合いだけでなくときにぶつかり合いながらも共にいるということを実感できるとき。言われたことをただやる、というような介助者にだけはなってほしくない。

嫌だったら嫌、ダメだったらダメ、そんなことを正直に言ってくれる介助者になってほしい。それは私たちにとって、生きる希望になり、学びの機会になるから。」

話し合いが終わり、事務所を出た。なんて素晴らしい仕事と出会えたんだ。これをやっていこう。心からそう思った。帰り道の春の夜風がいつも以上に清々しく感じられた。ヘルパー2級の資格を取れるまでの期間、腰掛ではいったつもりの障害福祉のお仕事を、しばらくやっていこうと思った。翌日からの当事者の方との向き合いかたも変わった。

そして、いまでもこのお仕事をさせていただいている。

この時の対話がなかったとして、いまだに私がこの障害福祉のお仕事をさせていただいているかどうか、定かではない。全国の在宅重度障害者にホームヘルプサービスを提供するホームケア土屋という事業所が存在していたかいなか、それも定かではない。

木村英子さんはいま参議院議員として国政で障害者の権利を訴えてくださっている。私たちはホームケア土屋を全国に展開し、在宅生活する重度障害者、なかでも医療的ケアを必要とするALSなど難病の方々や知的障害や自閉症など強度行動障害をお持ちの方々の在宅生活をサポートさせていただいている。

彼女の団体でお仕事をさせていただいた期間は2年余りだったが、その時に学ばせていただいたこと、体験することができたこと、それを忘れることはないだろうし、これからもその延長でお仕事をさせていただきたいと思う。

 

◆プロフィール
高浜敏之(たかはまとしゆき)
株式会社土屋 代表取締役 兼CEO最高経営責任者

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。

大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。

2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。