障害のある人たちの生活(その1) / 田中恵美子

仕事を辞めて大学に入り、もっと優しい旅への勉強会(以降は勉強会とします)で知り合った障害のある友人のボランティアをすることが増え、友人から介助者として仕事をしないかと誘われました。正確にいうと友人のパートナーから、といった方がいいでしょう。

友人を仮に松田さんとしましょう。松田さんは関西出身ですが、お父様の仕事の関係で東京に引っ越してきて世田谷の光明特別支援学校(当時は養護学校)で学び、その後旅行の専門学校で資格を取り、さらに独学で上級の資格も取って旅行を自分でコーディネートすることができる人でした。今でもボランティアで障害者からの移動や旅の相談を受けています。

彼と初めて会った時、勉強会の参加者が自己紹介する場面か何かだったと思います。家で嫁が待っているとかなんとか…いったことがありました。関西の人は自分のパートナーを嫁というんだと思います。私は耳を疑いました。え?結婚してるの???

松田さんは脳性麻痺という障害で言語障害も重めです。車椅子にはベルトで固定しないとずり落ちてしまう。その彼が嫁って…私はびっくりしました。そしてへーーーーと目の前にへーボタンがあったら押してしまうような衝撃でした(わかる人にしかわからない表現…)。でも40代半ばの松田さんが結婚していてもおかしくないのです。そう、まさに偏見。

ボランティアとして彼の家に行き、彼の指示通りにパソコンを打ったり、彼の外出を手伝って車椅子を押したりという日々の中で、彼の嫁、恭子さん(仮)にも会うようになりました。

恭子さんは言語障害と上肢の麻痺がある脳性麻痺の方で、足で何でも器用に使いこなします。アイロンがけも足でします。ミシンの糸通しも自分で!編物もやるし、料理も調理台を床においてやります。すご!!!足ってこんなに動くんだぁーーーー!ここでもへーボタンを連発!

私が家に行くと、ヘルパーさんが来ていて、料理の下ごしらえやら布団干しやら、掃除やらやっていました。それもあれこれ全部恭子さんの指示通り。「冷蔵庫の二段目に鶏肉が入っているから、それを炒めて、戸棚の引き出しに中華調味料も入っているから。」なんでそんなの全部覚えているの???すごーーーー!ここでもへーボタン。ボタンを押しすぎです。

毎回ワクワクして私は彼らの家に行くことがだんだん楽しくなってきていました。その時に介助者という話しが出て、私は即座にOKしました。こちらこそ、よろしく!といったところです。

そうして地域での当事者の会合にも顔を出すようになり、そこに来ている他の人の介助もするようになっていきました。最初はボランティアで入って、慣れてきたら制度を利用する。介護人派遣事業との出会いです。

そこで二人の女性と出会い、介助に入るようになりました。沖田さん(仮名)は言語障害のある脳性麻痺の女性で、絶妙にバランスをとって家の中では何とか歩くことができました。外出時は電動車椅子を使っています。

沖田さんは年老いたお母様と二人暮らしでした。沖田さんが一人暮らしをしていた時、お父様が亡くなって、一人暮らしのお母様のことが心配になって実家に戻ってきたのでした。

もう一人の女性は私と同じ年の川崎さん。彼女も言語障害のある脳性麻痺の女性です。彼女は一般就労で働いていましたので、夕方から夜あるいは週末に外出や家のあれこれをお手伝いするために訪問していました。

さて、次回から、彼らとの生活の中で私が経験した様々な出来事について紹介したいと思います。

 

◆プロフィール
田中恵美子(たなかえみこ)
1968年生まれ

学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。

現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。

研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。