赤國幼年記⑨ / 古本聡

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◎1日のルーティーン
あの日から始まった私の施設暮らしの1日は、概ね次のようなスケジュールで進められた。

06:00
起床・検温・健康観察(体重測定、血液採取など)・排泄処理、浣腸・緊張緩和剤等注射・真空カッピング、赤外線照射やアスファルト加温マッサージなど。手術直後の入所児には傷口洗浄、ガーゼ交換などが行われた。
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06:30
朝のケフィール(ケフィア)タイム。ケフィールとは、ロシア独特の乳酸飲料で、発酵し過ぎたヨーグルトのような味がする。これの代わりにキセーリという、ラズベリー風味の薄甘い重湯のようなものが出される時もあった。
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07:30
朝食。通常は薄くバターが塗られた黒パン(ライ麦パン)1切れに紅茶がマグカップ1杯という内容だった。
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08:00~11:00
医師、医学生らによる巡回診察、個別診察、治療、様々な検査、リハビリ、投薬などが行われたが、診察や治療の対象になっていない入所児は自由時間だった。また、月に2、3回は、この時間が入浴に充てられていた。
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11:00~12:00
就学入所児は、学校の準備をこの時間にやっていた。宿題や予習が主だったが、将来、高等教育を受けるのに相応しいと判断されたごく少数の入所児は、特別にそれぞれの教科のラジオ講座の聴講が許された。
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12:00~
昼食
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13:00~17:00
就学児はそれぞれの学年に割り当てられていた部屋に行き、そこで17:00まで授業を受けた。一方、未就学児は1時間の昼寝の後、再度、検査や診察に連れて行かれていた。途中でおやつタイムが挟まる。
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17:30
検温・健康観察・安静時間。15~18歳の年長収容児は検温の後、この時間を余暇や散歩に費やすことが許されていた。
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18:30~19:30
夕食
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20:00
未就学入所児が就寝。
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21:00
小学1年生(7、8歳)から4年生(10、11歳)までの就学入所児が就寝。
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22:00
全体消灯

 

このスケジュールは基本的に、毎年9月1日から翌年の5月31日までの9か月間用いられた。尤も、その期間内でも日曜日、大晦日と元旦、それと11月7日の革命記念日、5月1日のメーデー、5月9日の対独戦勝記念日は、検温を除く医療行為は行われず、学校は休みになった。また、6月1日から8月31日までの長すぎると言ってもいいくらいの夏休みは、医療行為こそ行われるものの1日のうち殆どの時間を入所児各自が自由に使えたのだ。

しかも、夏休みの3か月間は、私たち入所児が最も安心して心穏やかに過ごせる期間だった。というのも、医師も看護婦も、教育係、介助員たちも長期休暇を順番に取るので、その時期には大掛かりな外科手術、痛くて辛い新治療法試験、副作用による苦しみへの恐怖にビクビクしなければならない新薬投与試験が行われなかったからだ。何よりも心理的な安定を感じることができたのは、様々な原因で危篤状態に陥った子供たちの、全館に響き渡る最期の断末魔の声を聴かずに済んだことだ。

毎朝、起床後間もなく治療作業が始まると、未就学児が収容されていた数部屋からは耳をつんざくような子供の泣き声、金切り声、叫び声、それに加え大人の女性たち(介助員ら)の怒鳴り声が響き渡った。それが朝のルーティーンだった。もちろん私も、最初の1年間は、毎朝そんな声で泣き喚き、怒鳴られる側の一人だった。

ともかく、何もかも痛くて苦しかったのだ。尻や脚の筋肉に打たれる緊張緩和剤の注射、真空カッピング時の熱せられたカップを背中に何個も何個も吸い付けられるときの激痛、50℃くらいまで冷めているとは言え、ガーゼに包まれたアスファルトを身体中に張り付けられるのだから堪ったものではない。思わず悲鳴が出てしまう。

採血も拷問だった。鋭利な特殊ガラス器具で手の指先を刺し、そこから血液を採るのだ。しかも全員に、消毒もせず同じ器具を使い回していた。

私にとって最も苦しかったのは浣腸だった。日本の薬局で良く売っているイチジク浣腸などと言った可愛らしいものではなかったのだ。ゴム製の氷枕に細いホースと、先が丸みを帯びたノズルが付いていて、肛門にぶっ刺されたそのノズルからは、その日の状態に応じて氷枕半分から3分の2程度の洗浄液が容赦なく腹腔内に圧送され入ってくるのだった。

その時の肛門の痛み、腹痛、途中で出してしまいそうになる時の焦り、羞恥心で口から出る声は叫びにしかならなかった。実際、漏らしてしまうと、その後30分は汚物が散らばった床の上に全裸で放置されるのが分かっていたので余計に歯を食いしばる。食いしばると余計に唸り声が勝手に出てしまうのだった。

治療行為を施すのは看護婦(敢えて当時の名称を使う)の仕事、その一方で汚物を片づけたり床を拭いたりするのは清掃係または介助員の仕事。その線引きは厳格に守られた。そんな労働者権利意識の前では、入所児の衛生状態も健全な感情発達も全く意味の無いものだったのだ。なんせ、あの国は、働くものが最も優遇されるべき、プロレタリアートのユートピアだったのだから・・・。
赤國幼年記10につづく

 

◆プロフィール
古本聡(こもとさとし)
1957年生まれ。

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

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