障害のある人たちの生活(その3) / 田中 恵美子

前回、障害のある人たちの営みが私たちと同じだといいましたが、違うことがありました。それはまさに障害ゆえに経験することでした。

松田さん夫婦に子どもはありませんでした。あるとき、恭子さんが私に言いました。

「子どもは別に欲しくなかったわけでもないけど、できなかったの。どうしても欲しいと思っていたわけでもないから、病院には特に行かなかったし。できたら育てようとは思ったけれど、今のままの生活だったら育てるのは大変だったしね」

恭子さんは松田さんとの生活の中で、子育てがワンオペになるだろうことを予感していて、子どもができれば何とかするけれど、でも大変だなということを言っていたのだと思います。

正確にいうと、ワンオペのオペレーションは指示系統だけで、実際に動くのはヘルパーやボランティアです。そして、そうした人たちが来れば、いわゆる障害のない母親のような孤独感はないでしょう。でもヘルパーやボランティアを集めることからやらなければならないのです。

当時、ヘルパーは一人につき週2回派遣されてきていました。松田さん夫婦の場合は重度者が二人だから倍の4日と、加えて二人が一緒にいるのだからと交渉して、もう1日他の人よりも多く来ていたように思います。それでも5日です。

介護人派遣事業やボランティアを使い、今の生活をようやく切り盛りしているところに、さらに負担がかかることは、よっぽどの覚悟がないとできないという状況でした。

沖田さんのお母ちゃんは認知症が進み、徘徊の後、骨折を経て寝たきりになりました。通院は、今では難しいと思いますが、救急車を「予約」しておいて運んでもらいました。その付き添いは沖田さんの介助者でした(私も時々務めました)。

沖田さんはあとから電動車いすを飛ばして病院に来て、主治医の説明は一緒に聞きますが、救急車には乗れないのでお母ちゃんには介助者が再度付き添い、別々に帰ります。

そのうち夜間を見守るための泊りの介助者も必要になってきました。お母ちゃんの世話を沖田さんがするように介助者がする。そんな生活がしばらく続いた後、お母ちゃんは旅立っていきました。沖田さんは介助者をやりくりしながら、介助者と共にお母ちゃんを自宅で看とったのでした。

川崎さんの彼がなかなかプロポーズしてこなかった理由は、川崎さんの障害でした。川崎さんの彼も障害がありましたが、軽度でした。障害のある人にも障害に対する偏見があって、軽度の彼は川崎さんの重度の障害を受け入れられていなかったのです。ずっと自分の両親に「自分の彼女に障害がある」ということを話すこともできずにいたのでした。

川崎さんが、もうこのまま付き合っていても…と意を決した時、ようやく彼はご両親に話したのです。ご両親は障害の重い川崎さんとの結婚には反対しました。川崎さんのご両親は障害の重い娘が結婚して家のことができない、苦労すると反対しました。

子育て、介護、結婚…それを女性として経験する。加えて障害があると、もっともっと大変になるのはなぜなんだ!!!

 

◆プロフィール
田中 恵美子(たなか えみこ)
1968年生まれ

学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。

現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。

研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。