「全集中の呼吸」 / 佐々木 優

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数年前、私が【兄貴】と慕う友人の自宅でサシで飲んでいる途中、亡き親父さんの形見だという蕎麦打ちの道具を紹介された。

奇妙な形のずっしりとした蕎麦切り包丁に興味が湧いて、心を躍らせながら初めて手に取った記憶が今も残っている。

よかったら持って帰れと言われた私は、嬉しさと同時に誰かの形見を譲り受けることに僭越(せんえつ)な気持ちを感じながら、道具箱を両手で抱えて千鳥足で家路についた。

暮れに年賀状を書くことをやめたような無精の私が、大晦日の蕎麦打ちだけは毎年続けている理由はここにある。

私がお会いしたことのない亡き親父さんからいただいた、時空を超えた恩義に報いたいからだ。

2020年大晦日。
取り寄せていた北海道産の蕎麦粉を常温に戻し、道具を取り出して準備を進めた。

加水のための水分は、デジタル秤で正確に用意する。洗った手に残る石鹸の匂いが蕎麦に移ることがないように、いつもより念入りに手を流水に浸けた。

年に一度の作業ではあるが、身体が覚えているように自然に所作が流れていく。

黒と朱の漆で塗られたこね鉢は、兄貴のお袋さんから最近になって譲り受けたモノ。

水回しを終えた蕎麦を手早くこね、麺棒で延ばす。打ち粉を十分に振りかけて折りたたみ、蕎麦切り包丁をリズムよく落としていく。

ん・・・なにかが違う。

一人前ほどの蕎麦を切り終えた私は手を止めた。

ダメだ・・・。

かといってもう何かができる段階ではなく、後戻りはできない。私はそのまま包丁を落とし続けたが、出来上がった蕎麦は不揃いで、めんの折れ曲がった所からぽろぽろと千切れた。完全に刃も落としきれていない部分もあり、とても人様の口に入れられるようなシロモノではなかった。

私は時計を見た。
いや、実は、蕎麦を打ち始めたころから私は時計ばかりを気にしていた。
この後に控える遠方の現場のことがどうしても気がかりだったからだ。
限られた時間で間に合うだろうかという焦りから、自然に雑な【作業】になっていた。

打ちあがった蕎麦には、私の心の在り様がそのまま現れていた。
私は自分自身にがっかりした。そんな私に打たれた蕎麦にも申し訳ない気持ちだった。

「はぁあーっ。」

しばらく座り込み、深く息を吐いた後、意を決して打ち直しにとりかかった。

蕎麦と2割の小麦粉を念入りに攪拌(かくはん)して、加水を1%(5cc)増やした。

こね鉢に真正面で向き合って、これでもかと菊練りを繰り返す。
「ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ」という音だけがキッチンに響き続ける。
もう時計なんて見ていない。

延べ棒を無心で滑らせていると額から気持ちの良い汗が流れ始めた。
この感覚、これだ。これがあるべき心の在り様だと腑に落ちた。
なにかにつけ気が散る性格の私が、最後の刃を落とし終えるまで前しか見ていなかった。

打ち上がった蕎麦をオリに詰め、仕事に向かう前に兄貴の家に届けた。
例年は私の子ども達の誰かに届けさせているが、今回は私の手で届けたかった。
兄貴は玄関でミカンを紙袋に詰めて差し出し、物々交換という古(いにしえ)の取引が成立した。
こういうやり取りが私は大好きだ。

数時間後、私は仕事納めの訪問介護を気持ちよく終えて帰路についた。
乗り込んだ車でスマホを取り出し、きっと来ているであろう兄貴からのLINEを確認した。

兄貴の言葉に添えられて、数枚の年越し蕎麦の写真がそこにはあった。

疲れていたけど、冷えた車の中で寒かったけど、私は心の底からホッとした。

 

佐々木 優(ささき まさる)
ホームケア土屋 四国

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