社内公募企画「重度訪問介護をやって良かったこと」 / 松田卓也(福山事業所)

私が、ホームケア土屋で重度訪問介護にかかわるようになったキッカケは、私の夢である「ジムを開業したい」という望みのためにお金が必要だったからだ。

だから、求人検索サイトに高時給で掲載されていたホームケア土屋のアルバイト募集に応募した。私の普段の仕事は、放射線技師であり、介護の経験はもちろん無い。

法人内に介護老人保健施設があるので、たまに顔を出す事はあるが、実際に施設内で働いた事も無ければ、利用者さんとも、レントゲン撮影の時に少しかかわるくらいで、深くかかわった事は無い。

なので、ホームケア土屋でのアルバイトは、かなり不安ではあったが、どうしてもお金を稼ぎたかったので、講習を受け、そして実際に支援に入るようになった。

実際に支援に入ると、私の介護に対する印象は180度変わった。
まず、利用者さんに驚いた。

利用者さんは、身体は動かないものの、ハッキリとした意思があり、病院や施設で見た寝たきりの方とは、まず「目」が違った。目力があり、ああしてほしいこうしてほしい、という強い意思がある。

初めて支援に入った時は、その希望を叶えることが出来ず、「もういい」とその方から伝えられた時は少しショックだった。支援の中で「NO!」を突き付けられる事もたまにあり、認知症によるワガママなどではなく、本当の「NO!」はグサリと来るが、リアルでもあった。

次に仕事をされているスタッフの方。

ホームケア土屋で初めて講習を受けた時、スタッフの皆さんが自己紹介をしてくれたが、そのスタッフの方の職歴に少しビックリした。アパレル関係や営業関係など、その前職の内容がバラエティに富んでいたからだ。

正直、「なんでアパレル関係の人が介護の仕事やるんやろ?」という疑問も自己紹介を聞いていて感じた。

また、スタッフさんが非常に気さくで、かつイキイキしてるように見えた。
なぜ、イキイキしてるのかは正直分からなかった。

ただ、実際に支援が始まり、コーディネーターの方と連絡を取るようになると、気さくなだけでなく、非常に親身になってくれる方ばかりだったので、またそこに驚いた。

私が初めての病院支援に入る時、病院の場所が分からず、ナビもポンコツなので、近くのコンビニエンスストアで病院の場所を聞いていると、スマホが鳴った。コーディネーターの方からの電話だった。

「病院の場所わかる? もう俺、着いてるから迎えに行こうか?」

とわざわざコンビニまで来てくださった。

まさか、コーディネーターさんが病院まで来てくださっているとは思わなかったし、心配で電話もしてくださり、さらに迎えに来てくださった事に非常に驚き、かつ心から感謝した。

コーディネーターさんの懐の深さに触れるうちに、自分もこんな職場で働きたい、と思うようになった。

私はホームケア土屋で働くまでは、介護の仕事にあまり良いイメージを持っていなかった。

悪いイメージというよりも、私は正直なトコロ、14年間放射線技師として働いてきた中で、介護士さんやヘルパーさんをやや下に見ているようなフシがあった。

自分の方が医療的知識も豊富だし、状態が急変して救急外来に来られる施設の入所者さんを度々、目にしてきたので(ここまで急変するまでにもっと予兆や変化みたいなのあったんじゃない?)と感じる事も多かったからだ。

しかし、それは介護士さんの知識不足などではなく、かかわる人数が介護士さん・ヘルパーさんのキャパを完全にオーバーしているのが原因なんだ、と考え方を改めた。

また、支援に入る中で、介護の仕事は、肉体的にもハードで腰も痛く、非常に大変な仕事だという事も身に染みて感じた。

自分が今まで介護士さんや介護の仕事をやや下に見ていた事を猛省しただけでなく、介護の仕事を何年も続けてこられた方の凄さを身をもって体験した。

私もコーディネーターさんのようになりたい、という思いから、とりあえず実務者研修を受ける事にした。

実務者研修が取れたら、ホームケア土屋の採用試験を受けて土屋の一員となり、いつかジムだけでなく、自分で介護事業所を立ち上げたい、と思っている。

新たな目標を持てた事が、私にとっての「重度訪問介護をやって良かった事」だ。

 

松田 卓也(まつだ たくや)
福山事業所