土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて⑯ / 高浜敏之

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16 リハビリ時代に出会った人たち① 女性ホームレスMさん

心身も快癒しつつあり、就労自立に向けて準備した。夜回りをはじめとしたホームレス支援などのボランティア活動に参加したり、精神障害者のピアサポートグループで有償ボランティア活動に参加したり、認知症対応グループホームでアルバイトをしたりして、社会復帰に向けて助走した。

そんななか、数多くの忘れがたい人たちと出会った。

Mさんもその一人だ。

路上生活をしていたMさんに支援グループの仲間が声をかけ、生活保護受給とその後のサポートをした。私も生活保護受給当事者の身であり、ピアサポーターとして支援チームに参加させていただいた。

Mさんは軽い知的障害と重度のアルコール依存症だった。居宅生活がはじまると同時に病気の治療に取り組む必要があり、時折通院同行などをさせていただいた。

ホームレスになる前にMさんは何度も救護施設のようなところに入所したが、集団生活に馴染めずすぐにそこを脱走し、また再び路上に戻った。路上と救護施設の間をいくども往還したようだ。

今回は本人の強い希望もあり、アパートで暮らしながら病気の治療に取り組むことになった。私は彼女の生活のアフターフォローを担当し、月に1回くらい喫茶店でお茶をしながら近況を話してもらった。

極度の寂しがり屋のMさんにとっても、安心できる関係の中で自分の経験をシェアできる時間は楽しみの一つだったようだ。

そして、必ずMさんが繰り返し、笑いながら話すことがあった。

「はまさん、年末のクリスマスあたりになるとさ、30人くらいお客さん取らされてさ、帰りのタクシーの中でさ、おしり痛くて椅子に座れないのよ。ひどいでしょ、あははは。」

笑いながら、まるで持ちネタの冗談を披露するかのように、毎回話した。

Mさんは若いころからずっと、性産業の世界で生きてきた。

40を過ぎた彼女は路上で生きていた。

多くのトラウマサバイバーがそうであるように、Mさんのお話はこの痛みの経験の上空を、何度も何度も、繰り返し、繰り返し、旋回した。

「はまさん、年末のクリスマスあたりになるとさ、30人くらいお客さん取らされてさ、帰りのタクシーの中でさ、おしり痛くて椅子に座れないのよ。ひどいでしょ、あははは。」

毎回この話をするので、正直私も、またか、と思いつつ彼女の話を聞き流していた。

或る時、会食したあと、別れ際にMさんが、ちぎれんばかりに手を振っていた。何度も何度もこちらを振り向いては、ちぎれんばかりに手を振っていた。姿が見えなくなったあと、彼女の話の記憶が蘇った。

「はまさん、年末のクリスマスあたりになるとさ、30人くらいお客さん取らされてさ、帰りのタクシーの中でさ、おしり痛くて椅子に座れないのよ。ひどいでしょ、あははは。」

彼女の傷が私に転移したのだろうか。つんざくような痛みがやってきた。下を向いた。

路上に涙がこぼれ落ちた。止まらなかった。路上に涙がこぼれ落ち続けた。涙の中に血が混じっているのではないかと思うほど、痛かった。

涙がこぼれ落ち続けた。

Mさんは、東京のとある生活困窮者の方々が暮らす地域の出身だった。

彼女の詳しい背景について私は知らなかった。知っていたのは、軽い知的障害があること、若いころからずっと性産業の仕事についていたこと、私が出会ったころは路上で生活せざるをえない状況であったこと、それだけである。

押し流されるようにしていまがあるMさんの背景に、差別と困窮の痕がみえる。

Mさんを不幸と決めつけたくはないし、そうではないと信じている。MさんはMさんなりに自分の幸せをしゃにむに追求していた。時に周囲を巻き込みながら幸せを追い求めていた。

Mさんには異なる人生の歩みはあり得なかったのか、なぜMさんは性産業という仕事を選ばざるをえなかったのか、心身ともずたずたになるまで自分自身を傷つけざるをえなかったのか、路上生活を選ばざるをえなかったのか。何があったら、別の道がありえたのか、彼女にとっての必要な支援とは、どんな支援だったのか。

笑みを浮かべながら、ちぎれんばかりに手を振っていた彼女の姿を忘れない。

決して忘れてはならない、と思っている。

 

◆プロフィール
高浜 敏之(たかはま としゆき)
株式会社土屋 代表取締役 兼CEO最高経営責任者

慶応義塾大学文学部哲学科卒 美学美術史学専攻。

大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。

2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。

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