「悲しい時代」 / 佐々木 優

たしか高校3年生の初夏だったと記憶している。

自宅の火災で、私は家族とともに着のみ着のままで焼け出された。
幸いにも怪我人はなく、近くの親戚の家に身を寄せたが、自分が生まれ育った家が目の前で激しく燃え上がる恐怖が何度も何度もまぶたの裏で再現されて、当日はほとんど眠れなかった。

翌日に自宅があった場所に向かった。
あの、火事場にある独特の匂いが立ち込めるなかで、焼け落ちた瓦礫の中から炭だらけのアルバムを拾い、かろうじて焼け残った写真を大切に集めた。

やっと1歳になったぐらいの私が畳の上に座り、カメラに向かって微笑んでいる。

絶望のまっただ中にいる私たち家族を取り残すかのように、世間は普段どおりの時間を刻んでいるのを感じていた。でもそれでよかった。
私と対極にある誰かの平穏な暮らしにふれることでなぜか救われた。

数日もしないうちに、私は貰いものの学生服を着て高校生活に復帰した。
しばらくは教科書も何もなかったけど、とにかく通った。

わが家が燃えている写真が載った記事を新聞からわざわざ切り抜いて、クラスで面白おかしく見せびらかす同級生がいた。
悔しくて、恥ずかしくて、情けなかった。

私のクラスは進学コースだったので、秋になる頃には同級生の皆が赤本を片手に大学に向けた準備に傾いていった。
今まであったクラスの一体感が、しだいに【個】の雰囲気を帯びていった。

しかし、私の頭には進学という選択肢はなかった。
家も何もかも跡形もなく失ったとしても、負債だけは残っていた。
高校生にもなれば、自分の家庭の経済的環境をよりリアルに感じることができる。両親も進学のことを口にすることはなかった。

実はそもそも我が家は貧しく、私を大学になんてやれる経済力は無かった。それは理解してはいても、私はその現実を直視できず、どこか夢を見て恐る恐る進学コースを選んでいたに過ぎなかった。

進路相談で突然「就職する。」と口にした私に、当時の教師たちは慌てた。彼らには彼らの都合があったのだろう、期待に沿えなかったことを申し訳なく思う。

その後は自分だけ大きな流れから落ちこぼれていくのを感じていた。
周りにいる生徒が、いや、私だけが異国人のような疎外感を教室でいつも抱いていた。

翌春には同級生達は揚々と地元を離れ、私の目の前から消えた。
あの頃はまだ携帯電話なんてなかったから、ほぼ彼らとの連絡は途絶えた。

私はこの薄暗い街にぽつんと取り残されて、まるで世界から「ひとりで生きろ。」と言われているようだった。

何をしたい訳でもなく、【進学しない】という目的の為にとった就職活動であったから、働き始めてもどこか一生懸命になることができなかった。
我が子の将来にさほど関心のない、無学で経済的に脆弱だった両親をずっと恨み続けていた。

自分が自分じゃないような感覚のなか、とりあえず毎日ただ息をしているだけのような青年時代が続いた。

あれから20年。

私の自宅の階下に、今も両親がそろってのんびりと余生を送っている。
正月には母の作ったお雑煮を皆で食べ、とりとめのない穏やかな会話を交わしながら過ごした。
3世代が共に暮らす我が家には、今は優しい時間が流れている。

自身の不遇を呪い、誰かを責め続けた悲しい時代はいつしか終焉を迎えていた―――

私は、誰かのせいにするのをやめた。

ある時、冷静になって振り返り、悲しい時代を引きずりながら生きる私がどんなに不遇だと嘆いていても、その度に誰かがそばにいて、そっと助けてくれていたことに気づかされた。

実はあの時、火災の新聞記事の切り抜きを手に囃し立てていた同級生は、後日、私(家族)への見舞い金として、学生ではあり得ないような金額を財布から出して涼しい顔で募金箱に入れていたと、成人して何年も経ってから同窓生から聞いた。

きっとアルバイトをしたのだろう。

今思えば、良くも悪くも全ての振る舞いが彼らしい私へのエールだったのだ。

焼け出されて駆け込んだ借家。登校を再開する朝、幼なじみは私を心配してわざわざ自転車で家まで迎えに来てくれた。家が離れていて普段は一緒に登校することなどなかった彼が、玄関の向こうに笑って立っていた。
口数は少ない彼だったが、心細い私のそばにいてくれる気遣いが嬉しかった。

担任の先生はしばらくしてかなりの量の新しい教科書を両手に抱いて私に声をかけてくれた。

私の子ども達が進学した今になってやっと気づいたが、あの高額な教科書や補助資料が無償であるはずがなかった。
しかし、先生は私には何も求めなかった。ただただ優しく穏やかに微笑んでいた。

教師たちは私の家庭が貧しいことを知っていたのだろう。
今さらながら、あの頃の全ての教師たちへ心から感謝している。

その後、紆余曲折の時代を歩き、40歳を過ぎた頃に私は大学生になった。

ひと回り以上も歳の離れた学友が多く集う講義室の席に座り、初めて通った大学の教壇をじっと見つめていると、「やっと・・・。」という言葉がもれて自然と涙があふれてきた。

何かを少しだけ取り戻せた気がして、一生懸命勉強した。

子どもが大学生で、親も大学生。
そんな歳になってもやっぱり学びたいと言い出した私のワガママを許してくれた家族。

そして現在、働きながら大学を卒業して資格を取った私は、転職した介護の会社で管理職に就いた。

いつもいい加減で忘れっぽくて、おっちょこちょいのくせに怒りっぽい、こんな頼りない私を多くの優しい仲間達が毎日支えてくれている喜びがある。

悲しい時代の亡霊は、今でも私の顔を覗き込んでは影を落とし、時に孤独を押し付けてくる。

しかし、今の私は知っている。
――― 私には、支えてくれる誰かがいつもそばにいることを。

 

佐々木 優(ささき まさる)
ホームケア土屋 四国