「この世に生まれてきた証を残す」 / 古本聡

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先週の金曜日、株式会社土屋が提供する、私がMC、そして原香織さんがファシリテータを務めてさせてもらっている視聴者参加型オンライン番組「こもちゃんTV」でいつもご協力いただいている『みらクルTV』が開催した別番組に参加させてもらいました。

その番組の名は「今、障害福祉を考える」。定期的に開催され、元宮城県知事の浅野史郎さんがMC。毎回、主に障害福祉分野の専門家やエキスパートをゲストに招き、深く有意義な経験談などのお話を聴けるだけではなく、質疑応答の時間までもが設けられているという、実に興味深く、勉強にもなる番組です。

そして、今回のゲストは、日本で一番物騒なホットスポットとして知られている、東京の新宿歌舞伎町で公益社団法人「日本駆け込み寺」を主宰なさっておられる玄 秀盛(げん ひでもり)さんでした。

玄さんの人物像、ならびにこの社団法人がどんなものなのかについては、これまでも書籍はもちろんのこと、マンガやTVドラマ、ドキュメンタリー番組にもなって、あまりにも広く知られているので、本稿ではごく簡単に触れるだけにしておこうと思います。

貧困と差別の中で荒んだ青少年時代を過ごした玄さん。その後、様々な影の世界の職業を渡り歩き、ついにはVシネマの「ナニワ金融道」を地で行くような違法スレスレの商売で荒稼ぎ。そんな中、そのまま極悪非道な金の亡者としての人生が首尾よく回っていくと思った矢先、2000年に白血病ウイルス感染が判明したことをきっかけに、ボランティアに目覚めたそうです。

その後、2002年には、新宿歌舞伎町に「NPO法人日本ソーシャル・マイノリティ協会」を設立。そして、12年に公益社団法人「日本駆け込み寺」の設立となりました。

主な活動は、DVや虐待に苦しむ女性・子供たちの救済と保護、借金苦を抱える人たち・自死を考えるにまで人生に行き詰った人たちの相談、刑を終えた出所者の人生相談・就職斡旋から、引きこもり問題の解決、繁華街のパトロール、街のごみ拾いまで、と多岐にわたります。

もっと詳しくお知りになりたい方は、ネットで検索してみてください。わんさかヒットしますから。

実はと言うと、私はこの玄秀盛という人物にずっと以前より興味を持っていました。惹かれていました。一度お会いしたいとも思っていました。「ホンマにあんな生き方できるんやろか?」という気持ちと「ホンマやとしたら、俺のやってること、蟻んこよりコンマイなぁ」という気持ちの両方を抱えながら。

私が玄さんに興味を持ち始めたきっかけは、俳優の渡辺謙さんが玄さん役を演じたドラマでしたが、お会いしてみたいとまで思うようになったのは、5年ほど前にネットで目にした某雑誌のインタビュー記事でした。その中で玄さんは、次のように語ってらっしゃったのです。

「自分という人間が生まれてきた証しを残せるはずや。」

この言葉があの時、私の心に刺さったのです。私自身、ずっと以前、同じセリフが頭に浮かんだことがあるからです。

私事で恐縮ですが、今から44年前、ちょうど大学受験まであと3か月という時、私は父親からの家庭内暴力で救急搬送されました。父は重度のアルコール依存症でした。

ドライ(アルコールが体から抜けている状態)のときは、実に頭の切れる人でしたが、一滴でも酒が入ると、豹変するというよりは、人格を失うと表現した方が適格だと思われるほど酷い状態になりました。そして、そういう状態にある彼の頭と心は、カタワに生まれて自分の人生を狂わせ、封建制の名残が色濃く残った郷里の親戚に顔向けできなくした私への強烈な憎悪に支配されるようでした。また、私の大学進学にも、「いったい何のために?ぜったい行かさへん。」、と父は猛反対でした。

あの日も私を座った目で朝からずっと睨みつけていましたが、そんな彼の横を通り過ぎようとした瞬間、私の頭部には、当時はどの家にもあった黒い電話機の本体が降ってきました。そう、あの黒くて重い電話機です。

それから何があったかはここでは書きませんが、気が付くと私は、全身血まみれでカーポートに転げ出て、そこで近所の人たちに救急車を呼んでもらっていました。頭部に2か所の挫傷、右の眼孔骨が折れていました。

救急車内で寝かされていた時、朦朧として時折薄れていく意識の中で私が考えていたのは、障害者の駆け込み寺ってないんだろうか、ということ。隔離を目的にする収容施設ではなく、はたまた自立生活の場でもなく、あくまでも駆け込み寺。「救い」が欲しかったのでしょう。

あの時、警察が来て、現場保存と聴取が終わらないと救急車が出発できないので、相当長い時間、そのことを何回も、何回も繰り返し考えていた、という記憶があります。

そして、父への恨みや怒り、父と私を二人きりにして外出した家族への憤り、色々な感情が心の中で錯綜する中、病院でやっと検査も処置も終わりベッドに寝かされた時に辿り着いた言葉が「こうなりゃ、生まれてきた証を作らな空かん。このままじゃ終われん。」でした。

あの「事件」の名残は、天気の悪い日に鋭い痛みが走る右眼孔ですが、44年経った今、私はあの「証作り」を、この土屋という場を借りてやっているのかもしれません。みんなの力に助けられながら。

 

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ。

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

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