わかって欲しいを降りる / 牧之瀬雄亮

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日々暮らしの中で、一説によれば私たちは2万回思考していると言います。

思考には自分が意識しているものもあれば、骨の歪みや腸内細菌の出す物質の影響など、ほぼ脳では感知できないものもあります。

また細胞間絡合という観点で見れば、60兆個あるとされる人間の細胞ひとつひとつがそれぞれに思考あるいは反応しているわけで、それらを含めれば、先程の2万回というのは悠に超えた、まさに天文学的回数の思考を「私たち」は行っているわけです。

私には認知症を発症しかけている知り合いがおりまして、彼に何か土産物を買ってこようと「なんか食べたいものない?買ってくるけど」と私が訊ねると、

「なんでもいいよ」と言います。

「好きなもん言ってよ」と私が言っても

「う〜ん….なんでもいい」と言うので、

「じゃあネジとか枕木買っていくぞ」と私が言うと

「そういうのじゃない」と苦笑いします。

このやりとりの中、私には
「喜んで欲しい」「自分の労力の恩恵を最大化するヒントが欲しい」「彼に『好きだ』というポジティブな“思考”を行為としてして欲しい」という内心の感情(=欲)があります。

先日子供をビデオで撮っていて気づいたのですが、私はかなり声が低いらしく、それは携帯のマイクの集音力では、私の声のメインの周波数を拾えていなかったということで、つまり撮影したビデオでの子供の声は私が普段生で聞いている子供の話す声とさほど変わりがなく、音量を上げればそれに従って聞こえやすさも上がり下がりするのですが、私の声は音量が上がっても聞き取りにくいままでした。

そんなこともあるので、前述の認知症気味の彼と話していても、どことなく彼は不気味さを私の声に感じ、心を開くことを止めているのかもしれません。

私からすれば、「お前にイキイキして欲しいし、少しでも喜んでいて欲しいんだよ!」と言いたいところですが、伝わらなくてヤキモキするのです。

Q:何が?
A:私の内心です。

Q:言えばいいんじゃない?
A:言っているはずです。伝わらないのでしょうか。

Q:内心が伝わっているか確認した?
A:していません。

Q:なぜ確認しないの?
A:確認なんかするのは野暮な気がするし、いつか分かるでしょう。

Q:野暮になるのが怖い?誤解されるよりも?
A:………..

Q:……
A:誤解でもいいと思う

Q:どうして誤解でもいいの?
A:その人が俺を含めた情報の中でどう納得するか、が大切なのであって、俺がこういう振る舞いをするのはこういう気持ちがあったからだと伝えても、それが相手を頑なにしてしまえば元も子もない。

Q:対話をやめるってこと?
A:そうではない。音だ。向こうが乗れたら乗る。乗りたくなければ乗らない。でもどこかで俺の音を必要とするなら、また話すでしょう。あいつも。

Q:いつになるか分からないんじゃない?
A:それでいい。未来のことは楽しみに取っておく。留保。生きるというのはそういうことじゃないか。俺も変わるかもしれない。

Q:じゃあいいのね
A:いい

私の頭の中のやり取りは、こうやって一旦、お開きになりました。

さて、あなたはどうしますか?

 

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

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