オザキが教えてくれたこと / 佐々木 優

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私は尾崎豊が好きだ。

中学2年の頃だったと思う。夜遊びから帰ったひとつ年上の姉が、誰からかもらってきたカセットテープをラジカセにガチャンと入れて、彼の歌を初めて聴かせてくれた。

当時のわが家は貧しく、友達の家にあるようなステレオコンポは無かったが、その歌は私の頭に突き抜けるような衝撃を与え、胸の高鳴りを憶えるには十分だった。

「ええやろこの歌、オザキユタカっていうんよ・・・」
オキシドールで傷むほどに脱色した髪をかき上げながら、姉はどこか自慢げだった。

それからというもの、テープが擦り切れるほど何度も巻き戻しては、心を奪われたように彼の歌を聴き続けた。

私が敬愛する甲本ヒロトは今もこう言っている。
「ロックンロールの最高潮は、それと出逢った瞬間なんだ。」
ヒロト、僕も本当にそう思うよ。それほどの出逢いだった―――

世界がこうなる少し前、小学生時代からの友人と飲んでいる席で恒例の昔話が始まった。

「マサル、オザキの【街路樹】ってどんな歌やったっけ。めちゃ好きやったなあ、もう忘れたけど。」

私はアカペラで出だしを歌い、友人はすぐに思い出したようで、何度か頷いていた。
私は少し酔っていたのも手伝って、そのまま曲の最後まで歌い切った。
友人は半分笑いながらも、呆気にとられていた。

「マサル、なんで全部覚えとん・・・。」

私にもなぜか分からなかった。
この歳になってはもう聴くこともなくなったオザキの懐かしい歌が、まるで身体が覚えているようにすらすらと蘇っていた―――

私は普段から歌が好きでよく聴いている。
仕事での移動中やふと疲れた時、深夜に眠りに落ちる間際にスマホのアプリを起動する。
ただ、どんな曲でもいいという訳ではない。プレイリストには私が最近になって見つけたお気に入りが詰め込まれていて、毎回リピート再生されている。

しかし、変だ。

お気に入りの曲なのに、何度も繰り返し聴いているはずなのに、ほとんど歌詞を憶えていない。
アカペラで歌おうとしても、ところどころのフレーズが出てくるだけなのだ。
私は以前からこのことに気づいていたが、年をとるとモノ覚えが悪くなるなあぐらいに思っていた―――

なんでだろう。

ある夜、いつものようにプレイリストを再生しながら、ふとあの頃を想い起こした。

大袈裟かもしれないが、あの頃の歌は私にとっての生きる道しるべだった。
当時、絶叫するように歌うアーティスト達は、多感で未熟で危険な少年の代弁者だった。

初めて出逢ったオザキも、その後に夢中になったブルーハーツもMODSも、私の憧れであると同時に反体制の象徴だった。

貧困でいつも伏し目がちの私が、思い通りにいかない苛立ちを傾ける受け皿でいてくれた。

高校生になると、学校に無断でアルバイトをして、ギブソン風のエレキギターを手に入れた。ろくに弾けもしなかったが、毎日大切に磨いた。
ぼろぼろの長屋の薄暗い部屋で、私のギターだけが光っているように見えた。

彼らが紡ぐ歌詞のひとつ、つま弾く弦の音のひとつに意味や意義を求め、まるで神の言葉(God bless)のように受け止めては見よう見まねで歌い、彼らに自分自身を重ね合わせていた。

私はそれほど必死だった。

なんだ、そういうことか。
身体に染みついている理由が分かった。

大人になった私には、口が寂しくてタバコやお酒を呑むように、歌がただの嗜好品になっている。
今の私にとっては、まるで消費財を扱うかのような歌の聴き方になっているのだ―――

最近、例の友人から久しぶりに電話があった際に、近況報告の流れのなかでその答えを伝えた。

「ふーん・・・。」

友人はひとくさり私の能書きを聞いたあとで、ぼそっと話しはじめた。

「マサル、それ、仕事と一緒やと思うよ。仕事やって真剣に向き合いよんと、ただ手間をお金に交換しよんとはデキが違うやん。俺は職人やけん、その話聞いたらそう思うわ。」

尾崎豊さま
貴方が亡くなってからもうすぐ30年。
俺たちは永遠に貴方の足元には及びませんが、不良少年だったあのトモヤが、少しはまともなことを言えるようになりました。
合掌

 

佐々木 優(ささき まさる)
ホームケア土屋 四国

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