「介護、土屋で見つけた真のありがとう①」 / 山本潤

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私は幼少期、何不自由ない家庭に生まれ育った。

父は会社を経営。
そんなに大きな会社ではなかったが、自慢の父親だった。

小学校6年くらいの頃、そんな父の会社が倒産し、家族がバラバラになり、今までの幸せな家庭は180度逆転。

思春期に入る頃の衝撃的な出来事。
子供ながら何かに苛立ちをぶつけたかったのか、こんな風にした大人ってやつを憎んだのか、覚えてないが、世間に反発しグレた。

今では死語だがヤンキーの世界にどっぷりハマるワケである。

そう、誰にもバレてないと思うが、
実を言うと私は元ヤンなのだ。

私は父に引き取られ2人で暮らしていたが、
父は家には帰らなかった。
ある意味、中学はろくに行かずとも誰にも何も言われない毎日。
子供ながらに自由を手に入れた瞬間だった。

たまに学校に行っては先生に苛立ちをぶつけ、街ではケンカもしてきた。

単車を乗り回しては、ケンカに明け暮れた毎日。

そんなボンクラな私でも当時憧れていた仕事があった。

職人である。

80年代後半から90年代は原色カラーのニッカポッカがブームで…

あ…
ニッカポッカって今の時代通じないだろうか。

職人が着る上下セットで、今では珍しい、
赤、紫、黄色など色んな原色カラーの作業服だ。

ニッカポッカを着て仕事したい!
ものづくりも好きやし、家とか建てたい!
ガッツリ稼ぎたい!

あの頃、地元のヤンキー仲間は大体建築現場で職人を目指していた。

自分の進路通り大工仕事で弟子入りを果たした。←進路とかえぇ風に言うてみた(笑)。

当時の風貌は今では考えられない見た目で、その時の自分が今目の前を歩いて来たら、迷わず道を変えるか、絶対に目を合わさないだろう。

パンチパーマにソリコミ、眉は全剃りで、
真っ赤なニッカポッカを着て道の真ん中を肩で風を切って歩く。←実にヤバい…

そんな話はここまでにして、私は建築の世界で職人の腕を磨き、20代前半で独立。若衆を4、5人雇い、現場でも風を吹かしていた。

絶頂期は若衆にお給料を払っても手元に数百万円残る時もあった。

これでオレの人生は安泰や!!

と調子に乗っていた、ちょうど独立して2、3年経った頃だっただろうか、
丸請けした現場で元請けの会社に飛ばれたのである。
つまり建てるだけ建てて、お金は一円も入らなかったのだ。
正に登りきったジェットコースターからの急降下。。。

若衆に払うお給料は初めは借金して払うも続くわけがない…
完全に裸一貫、1人になった私は路頭に迷う事になる。

そして私は…

と続けたいところだが止まらなくなるので
パート2で書こうと思う。

to be continued

読んで頂きありがとう。

 

◆プロフィール
山本 潤(やまもと じゅん)
1974年大阪府生まれ、和歌山在住

大工職人18年。
バリバリの営業会社から介護の世界へ。
一度介護からは離れ、雑貨屋、カフェ、就労と経営。

高浜代表と出会い、志し、想いに感銘を受け、ずっと自営業だった人生に幕を閉じ、新たな人生をスタート。介護歴は今年で5年目。

いくつになってもチャレンジ精神旺盛なオッサン少年です(笑)。「失敗こそ一番の教科書」と、とにかくまずは行動するをモットーとして生きてきました。学はないけど熱い気持ちと根性は負けません。

波乱万丈な人生を越えてきましたが、土屋でこれまでの人生経験や知識をフル活用し、熱い想いでミッション、ビジョン、実現そしてバリューを素直に実行していきたい。

 

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