「SDGsな生き方」 / 鈴木達雄

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3.人工海底山脈の開発秘話

前回、シティコン海底山脈プロジェクトの全体像を各省庁、SDGsとの関係を含め要約した。本プロジェクトはSDGs12、13、14、15の目標に適合し、SDGs1、2のためにも早急に進めたい。しかし、日本の縦割行政、前例主義等の壁がある。巨大地震からの早期復興の実現のため、シティコン海底山脈プロジェクトの必要性は増すばかりである。今回は現状を踏まえ人工海底山脈開発の秘話をご紹介したい。

40年前の開発当時と現在の違い

1798年にマルサスが「人口論」で、人口増加に食糧生産が追い付かないとする根拠を示した。1972年にはローマ・クラブが「成長の限界」で食糧問題、資源産出国と消費国との対立等による人類の成長の限界を予測した。1980年、開発開始当時も食糧不足は大きな問題であった。そんな中、海で食糧を生産する人工海底山脈を構想した。

1998年、国連人口部は世界人口が60億人になったと発表し、2020年現在、78億人の内8億人が飢餓状態だという。食糧生産量は充分だが、穀物の1/3が家畜の餌になり、食品ロスや、食糧配分の偏りが紛争の原因になっている。

現在、日本の食糧自給率は37%で、輸出各国の小さなデマで食糧の輸出制限が連鎖すれば、深刻な食糧不足が顕在化する。2015年の国連サミット加盟193か国が、2030年に達成する17のSDGs目標を採択し、水と食糧の不足による危機感を共有した。

日本だけの海の食糧増産

1969年SCIENCE, Vol.166で世界の漁業生産の50%が全海洋面積の0.1%の湧昇域(下層の海水が表層に湧き上がる海域)で生産されると報告された。海水中には光合成に必要な水、CO2は充分だが、表層では光合成に必要な栄養塩(N、P、Si)が決定的に不足している。

一方、海洋の深層には無尽蔵の栄養塩があり、それを表層に湧昇させれば、それだけ植物プランクトンが増殖する。海の食物連鎖は植物プランクトンの光合成から始まる。自然の恒久的な潮流を利用し、下層の栄養塩豊富な海水を表層に湧昇させ、植物プランクトンや海藻が増える環境を創る。自然の生態系で海の食糧(特にタンパク質)を増産する世界初、日本独自の食糧増産技術である。

人工海底山脈による海の食糧増産

陸の食糧増産の限界が見えた今、地球表面積の70%を占める海での食糧増産が求められるのは必然。しかし、陸と同様、海の環境も汚染され、過剰な漁獲が海洋生物の種の数をこの50年で70%減らし、水産資源は壊滅状態になるとする論文が2006年に出された。

食糧生産の原理は、海も農業と同様、水と空気(CO2)を原料に、肥料(栄養塩)と太陽光エネルギーで光合成を活性化することである。SDGs14では、海の魚を守ろうというだけで、増やそうという記述はない。だが、日本には2003年から人工海底山脈事業で魚を増やした実績が多数ある。この事業を加速すれば食糧増産は可能である。しかし、今の財政状況では思い切った事業は難しい。

人工海底山脈とは何か、この疑問に11才の愛孫、原優梨香が答えた「不毛な海を豊にする人工海底山脈のひみつ」という3世代合同製作の4分動画がある。
https://youtu.be/ypEq5FljcPQ 脚本:原香織、ナレーション:原優梨香

好漁場と人工海底山脈

私は1972年に株式会社間組に入社し、技術局の海洋開発室に配属された。大学4年間ヨット部で海に学び、海に関係する仕事に早く就きたいと希望していたので、大いに胸を躍らせた。幸い素晴らしい上司に恵まれ、海上のヨットに次いで海中のダイビングのスパルタ教育を受けた。

当時、大手の建設会社に海洋開発室ができて、本州四国連絡橋、明石大橋等の橋脚の設計が始まり、共同した大成建設本社に通い同じ釜の飯を食べ、計画策定に励んだ。それが一区切りし、1974年、国は沿岸漁場整備開発法を施行し、本格的に沿岸海域で魚礁、消波堤事業等の漁場整備事業を行う機運が高まった。

1975年に通常業務の他、新たに水産分野の采配を任された。潜水技術を活かし、全国の魚礁や海底地形と魚類の蝟集状況等を調査した。同時に独自に魚礁の開発から設計、さらに沈設工事とその効果調査まで一貫して行うことができた。その貴重な経験を含め、漁師がよく使う好漁場は、海底に山脈のような大きな構造物がある海域で、常に魚介類が再生産され、減ることがないことを実感した。

また、水産庁水産工学研究所長に協力し、水理実験にも取り組み信頼を得た。この頃、SGDs15陸の豊かさも守ろうと考えていた。陸の山の自然を破壊してまで、海に大規模な山脈を造るのは避けなければならない。適切な材料を真剣に模索していた。

人工海底山脈と石炭灰の出会い

人工海底山脈の開発に取り組んだのは、海の生物生産の謎が解けたこと。同時に、第二次石油危機を契機に1979年石油代替エネルギーの開発及び促進に関する法律が制定され、石炭火力発電に転換されたことだ。会社は水産どころではなくなり、1980年にエネルギー本部石油備蓄部に配属され、石炭備蓄を担当した。水産関係の人脈をようやく構築した私には絶望的であった。

多くの電力会社を訪ね、石炭火力発電のネックが石炭灰の処理であることを知った。石炭灰を人工海底山脈の材料にできれば、2つの大きな問題を同時に解決できる。気を取り直し石炭技術研究所の図書館で、石炭灰を硬化させるあらゆる文献を必死に読み漁った。見逃されていた石炭灰の重要な海水との相性の良さを発見したが、その原因を追究した研究論文はなかった。

筑波にある間組技術研究所で、石炭灰の硬化を促進する海水成分を特定する実験に没頭した。原因元素を特定し「アルカリ金属ハロゲン化物類及びこれらの混合物から選択される無機塩類とセメントとを含む混和剤」で、特許登録したことで水産業務の継続を説得した。

大型の魚礁の試作を始め、1基50トンのサークルリーフ(魚礁)を、シラスやサクラエビ漁の網が魚礁上を通り抜ける構造にして大井川漁協の組合長にプレゼントした。組合長は喜んで魚礁の詳細な調査を何度も行い、素晴らしい調査記録を残してくれた。

静岡県の魚礁事業で使って頂くことになり、県は事業で使う魚礁委員会の体制を整え、私は魚礁委員会の座長を水産工学研究所長にお願いした。ここまで技術開発し展開したことで、ようやく会社も人工海底山脈の事業化の可能性を認め、1983年、新聞発表にふみ切り、新聞各社から予想以上の反響があった。

しかし、補助金を出す水産庁は、それでもサークルリーフを認可しなかった。

石炭灰は、自然がつくった植物の化石だが、炭種によっては6価クロム、鉛、ヒ素などが含まれるものもあり、管理型廃棄物である。当然、開発した硬化体は、水質汚濁に係る環境基準を満足していたが、水産庁には廃棄物を評価する基準がなかった。

ちょうど1980年に設立された水産庁管轄の社団法人マリノフォーラム21の研究課題に取り上げて頂いた。コンクリート研究の教授2人にも入って頂き、電力会社、建設会社、コンサルタント会社の参加を得て私が代表世話人となり、石炭灰コンクリートの研究をゼロからやり直した。

1993年、ようやく沿岸漁場整備開発事業施設設計指針に石炭灰コンクリートが掲載され、公共事業で使用することが可能になった。

敵は本能寺にあり

晴れて石炭灰が公共事業で使えるようになり、人工海底山脈の開発に軸足を移すことができた。目的は魚礁ではなく人工海底山脈であった。実証事業は開発から15年後、1995年にようやく始まったが、石炭灰コンクリートの認可に時間がかかったことが大きい。

湧昇流を発生させる人工海底山脈の実証事業を開始する前に、大規模人工湧昇流の研究、石炭灰コンクリートの軽いという性質を活かした底質不安定域漁場開発、岡山市並型魚礁、ホッコクアカエビ保護礁、等の石炭灰硬化体の特徴を活かした試験や、利用実績を作る事業が行われた。

人工海底山脈とシティコン海底山脈の違いは、前者を構築する素材が石炭灰硬化体、石材、普通コンクリートであるのに対し、後者は、初めて利用される老朽化し廃棄されるコンクリート構造物から工夫して切出すシティコンである。

コンクリートガラという廃棄物を工夫して利用する、ただその1点の違いなのだが、これが巨大地震からの早期復興と食糧増産という莫大な効果を発揮することを、なかなか認めてもらえない。石炭灰で15年味わった産みの苦しみを、シティコンでも強いられている。だが、絶望的な状態で、必ず新たな救いの手が現れ実現してきた。

 

◆プロフィール
鈴木 達雄(すずき たつお)
1949年山口県下関生まれ。

1980年に人工海底山脈を構想し開発を進めた。この理論の確立過程で1995年に東京大学工学部で「生物生産に係る礁による湧昇の研究」で論文博士を授かる。

同年、国の補助金を受け、海で人工の湧昇流を発生させ食糧増産をする世界初の人工海底山脈の実証事業を主導。これが人工海底山脈の公共事業化、さらに国直轄事業化に繋がった。

現在は、予想される首都直下地震、南海トラフ地震等の巨大地震からの早期復興を支援するため、震災で発生する材料を人工海底山脈に利用する理論と技術開発に取り組んでいる。

SDGs、循環経済を重視し、都市で古くなったコンクリート構造物を工夫して解体し、天然石材の代わりに人工海底山脈に利用することで、予め海の生態系を活性化し食糧増産体制の強化を図り、同時に早期復興を支援する仕組みを、行政と協力して構築するための活動をしている。

趣味:水泳、ヨット、ダイビング、ウィンドサーフィン、スキー、ゴルフ、音楽、絵画

 

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